大阪 天王寺#1 天王寺公園 ~半径40キロくらいだなの散策
2009.7.18撮影 Pentax K10d クリックしてもらうと、少しは大きな画像が開きます。
■天王寺公園(wiki)
■天王寺公園(大阪の花と緑総合情報サイト)
いや、毎度思うのよ、駅前に立つたびに。公園入り口前のあの独特の「人だかり」もそうだけど。やっぱあのラヴホの看板な。あの張りぼての天守閣が、駅前の景観の中に放つ存在感。
退いてほしくないんだろうか、行政は。
まあ、絶対に外してくれないとは思うけどさ。でも、一応、ここって大阪の顔の一つ、大阪のメインターミナルの駅前なのよね。だからこそ、天王寺公園を有料化し、夜間には鍵までかけてうろんな輩追い出したんだしさ(やる方も凄いが、ここまでしないとというあたりもまた凄い)。大阪市としてはちょっとでもあのあたりをクリーンにしたいでしょうに、あれ、退けてくれんかなあ、と思うておらんのかな。だって、いかにあの公園を平和な小市民向けに再整備しようと、あの看板いっちょでぶちこわしという気も。
だが、平松市長にせよ橋下知事にせよ、どっちも関西圏で育った人、何を言うかは想像がつく。
「せやて、しゃあないやん(退いてもらうには銭かかるやん)」
あるいは、
「別にええんちゃうん(看板だけやったら実害があるわけやなし)」
てなとこでしょうな。で、私はそういう考え方が好きである。
んで、私は先週の土曜に天王寺に言ったわけだ。写真はそんときのもの。何しに行ったかと言えば、この市立美術館(↑の天守閣の方にある)で義母の所属する素人さんグループの展示会があったからである。義母はこの数年、水墨画にはまっていて、まあ、楽しそうでいいんだけどさ……。
まあ、義母についちゃ、勘がいいみたいで、まーったくの初心者上がりとしちゃ結構いい線いってるかな、とも思うんだけどね。スゴいのが会の諸先輩方。そりゃあさ、下手な時から、手が小さくなんないためにある程度大きいの描いた方がいいってのがきれい事定説だけどさ。けど、限度ってのがあるじゃん? なんで猫も杓子も百号に手を出すのか。誰も止めなかったのか。強気だなあ、ゲージツ趣味のおばさま、おばあさま方ってのは……いや、これ以上言うまい。
閑話休題。
天王寺公園は結構広い。市立美術館と動物園がある。美術館はけっこう大物もかかるが、まあそれでも市立だしね。少なくとも、いつまでもフェルメール展という過去の大ヒットにこだわるのは止めたらどうか。動物園もでかい、コアラが居る、レッサーパンダも居る。ただしウォンバットは居ない。以上。
というだけで兵庫県民の私なんか説明が済んじゃう(笑)。
美術館なら安忠の県立美術館で結構事足りるし、大体、超大物は京都か奈良にしか来ないもんな。動物園なら王子にもコアラ居るし、パンダもレッサーパンダも居る。
その公園だが、一応、旧住友邸の慶沢園てのがあってそこんとこは緑豊かでいいのだが、中央部は噴水だ花壇だが整備されておるものの、大きな木が少なく、コンクリ敷で、今回のように夏の最中に行くと地獄。ちったぁ木陰作れよ! と怒鳴りたくなる。(そのあたりの写真はwikiやHPの方でどうぞ)
おそらく、あれよね、あくまでも見通しよく、すっきりと、清潔に、うろんな人もうろんな行為もあり得ないようにと作り直したんだろうねえ。
……すいません、大阪市民並びに府民の方々、そろそろお怒りかと思いますが、こっから先、もっとお怒りかと。
まあさ、私はこの天王寺公園から「うろんな方々」が追い出される前、ってのは実は知らないんだ。そりゃ、有料&夜間閉園で閉め出しかけた時は、新聞沙汰にもなったから覚えてるんだけど。
その私が、天王寺公園つまんねーと強く思うようになったのは、あの、敷地内連絡通路(美術館、動物園に行くためのルートでここは無料)の青空カラオケを退かした時からである(こんときもマスコミは騒いだ)。
ありし日のあの青空カラオケってのは、いやあ、すごかった。最初見た時は度肝抜かれたもん。
道路にずらりと(無許可の)露天が並び、勝手にカラオケショーやってんだもんね、有志が。いや、是非ともヴィジュアルでお見せしたいんだけどさ、Googleのイメージ検索かけても、最盛期の画像ってのがないのね。残念だなあ
公園に近づいた段階で相当うるさいのだが、一歩通路に足を踏み入れれば、安いスピーカーが「ちゃーんちゃっかちゃっかちゃんちゃん」とベタでエレキなサウンドを鳴り響かせ、もはやアヴァン・ギャルト。
そこへ化粧も衣装もこてこてに、身振り手振りもたっぷりと、しゃんしゃん手拍子足拍子、あなた何故何故私を棄てた♪ フレディ・マーキュリーも真っ青の気合いと気負い、じじばば歌います踊ります。見てるじじじばばも踊ってます。 あの有様を表す言葉は、これしかあるまい。
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
嗚呼、この閑吟集の一節は、本当に庶民レベルで日本人の魂を刺し貫く言葉なのだと、お能なんぞより遙かに実感させてくれた。いわば、あれこそが天王寺であった。
で、ちょっとマジになると、私はもちろん、うろんな方々や青空カラオケが、現実に周辺住民にとってどれだけ迷惑かはわかっている。それを安直に「権力の抑圧」と語る無神経さや、「庶民の文化」なんて言葉を持ち出すいかがわしさもわかっている。安全とか快適さという点でどうなのかと、ホント困るんだよ、という市民府民のお怒りもわかってる。
だけど、「街」ってのはそういう猥雑さを孕んでてこそ「街」で、それが街が生きてるってことで、洗練ってのは実はそういうことだと私は思うです。再整備計画の何のと言ったって、街が脳死状態じゃしかたあんめえ?
まあね、それだって結局は、つまんない半田舎の郊外に育った私の、ツーリストとしての勝手なロマンなんだろうけどさ。
ただ、天王寺、という場所が大阪の顔の一つであるからこそ、公園ではホームレスが日向ぼっこし、それを無視しておたれなカップルは行き過ぎ、青空カラオケの歌舞音曲のるつぼを抜け、フェルメールを観にゆく人々が……と、そんな混沌の方が、ぶっちゃけ、ステキぃと思うだけだ。
つうか、それが大阪なんだよな、私にとっては。
「一人の基地外も養えない」という出自不明な格言があって、私はなんか、この言葉が好きだ。そんな混沌を孕んだ空間てのこそが、日本中の都市が軒並みご清潔にさっぱりと没個性にリトル・トーキョー化していく中で、大阪だけが持ちうる切り札なんじゃないのかな。それこそが大阪のチカラなんだと思う。
などなど書いたが、まあ、画像に書き込んだように、公園入り口前にはなお「うろんな人だかり」がある。あれもささやかなレジスタンスかしらん。おまけに、その青空カラオケを閉め出した通路だが、ゲリラ的に復活してたりするだけでなく、夜ともなれば、いわゆる「立ちん坊」の方々がおいでだそうで、世界陸上ん時に泥縄で摘発してはりました。
大阪は、しぶとい。
まあ、ラストはちょいと上品に。その慶沢園の写真で。
2009.7.18撮影 Pentax K10d クリックしてもらうと、少しは大きな画像が開きます。
明日はこの続きで「天王寺#2 新世界」
公園の中の道じゃフリーダムなフリマが出てて、8トラックのカセットとかスリッパ片方とか売ってましたね。カラオケは見なかった。すごかったですね。アジアでしたね。活気と言うか生命力にあふれてましたね。
いまどうなっているのか気にしてませんでしたが、そうですか消毒されてますか。
「一人の基地外も養えない」とは至極名言ですね。
うちの近所の河原に家なき人が営巣していて、台風の増水で流されたりしまして、結局ヘリなんか飛ばして大騒ぎしてましたけど、清潔な世の中というものはなんとも理不尽でシュールでお金のかかるものですね。
しかし青空カラオケは見たかったなあ。
私は幼少のころ、死んだじいちゃんによく連れて行ってもらった場所だけに、思い入れはある。
街中に溢れるあやしい人たち。決して社会の表舞台には立てないような住人たちが醸し出す、怠惰なようで、実は活力を感じるその混沌とした雰囲気が何よりも好きでした。それがいつの頃からか、マスコミでも取り上げられるようになり、住人たちお構いなしになんだか下品な観光地と化してしまい、ガッカリ。
それでも基本吐きだめなもんですから、完全に飲みこまれることもなく今のような状態になっているのだと。
青空カラオケだって、閑静な住宅地の真ん中の公園ってのならまだしも、あんな吐きだめのあんな広い敷地の中なんだから騒音という意味では大して誰の迷惑にもなってなかったような。
純粋に公園を楽しみに来た人には迷惑だったかもしれませんが、なら天王寺に来るなとも言えるし。あえていうならコアラには迷惑だったでしょうが。そういう意味ではあのあたりの住人は動物以下の扱いを受けているとも言えなくはない。
多分今後20年でさらに漂白され、アンダーグラウンドがいやーんな感じなりそうならオーサカ終わりかも?
まあそうはならないしぶとさもあるっていえばあるんですけどね(笑)
東京には無い猥雑さに惹かれますね。歌舞伎町の猥雑さとは違うんですよね〜。
青空カラオケは、問題になっていた当時はよくテレビで観ました。
同じ素人さんの路上パフォーマンスということで原宿のホコ天との違いを考えてみると、ホコ天はあくまでお客ありきで、青空カラオケは自分らが気持ちよければいいじゃん的な印象というか。
見ている方としては、冷静に客観視されちゃったモノよりも、自己満足を突き詰めちゃった方が面白かったり、そこに文化や芸術を感じちゃったりするかもしれないなー…とか思ってみました。
もちろん、ホコ天のパフォーマーはバンドブーム以降はビジネスを意識した人が多く集っていたと思うんで、客観性は大事だったりするとは思いますが。
まとまらんコメントでスミマセンm(_ _)m
ほいで、↓の記事でのレス、ありがとうございました(^^)
青春の天王寺彷徨。中上健次みたい。
>スリッパ片方
ある意味、「これを何に使うかは、買うあなたが決めるものだ」という、こうなると「ハプニング・アート」とすら言えるなと。
青空カラオケはお見せしたかったです。撤去されたと聞き、写真撮らなかった自分を悔やみました。つかビデオ回しておきゃよかった。
んで、消毒されておりますが、その下からそれでもにじみだすものがあるのは↓のyalingさんのコメント通り(笑)。
「一人の基地外も」てのは正式には、「一人の基地外も養えない家庭は貧しい」だそうです。いやあ、先人の知恵とは凄いものです。
そうです、
で、合理主義を追求すると非合理に至るという不条理、役人ってのは、こういうことを一番わきまえて欲しい人種なんすがね。駅や繁華街を追い出された家なき人が側の住宅街のど真ん中の公園を占拠するなんてのは、「おたれ命」な我が県庁所在地神戸でざらにある光景でございます。
ぶっちゃけ、私のエントリ、師匠のコメントに負けました。
あのね、誤解を恐れずに言えば、「吐きだめ」という言葉をニュートラルに使えるあたり、負けた、と。そういうとき、自分の「アジア的混沌」なんて言い方が、及び腰できれい事っぽくて弱いなあと。
>なら天王寺に来るな
と言い切る度胸もなかったの。ごめんね。
なお、コアラの迷惑問題については、天王寺動物園ってねえ、閉園間際に居た時、さわらせてくれたんだよ(爆)。
あの豪勢な運動場から負けずに豪勢なコアラ舎に戻すとき、ユーカリの枝抱えてくっついたそれごと移動させてたんですが、ついと客の方に出て来て、ほれ、と。
ほれじゃないだろ、ほれって、そりゃあんた、神経質な動物なんだろうがっ、とたまげつつ、しっかり撫で回しましたわっ。だもんで、あのイキモノに何かあっても、環境の問題ではないだろうと思います。
なお、青空カラオケに呼応して、動物園の動物が咆吼を上げていた、という目撃談もあり、そりゃあステキだったろうなあと。
>多分今後20年でさらに漂白され、アンダーグラウンドがいやーんな感じなりそうならオーサカ終わりかも?
梅田が着々と消毒されつつありますしね。東通りは健全になるわ、大阪駅に「裏」がなくなって家無き人は何処とも知れず姿を消すわ。
第一~三ビルはいっとき香ばしかったのに、変な店がどんどん閉じちゃって、ただの寂れたビルだしね。
まあ、仰有る通り、それで漂白されきらないのが都市なんですが、この不況で、なんか逆襲する気合いが減ってる気もして、ちょと心配。
★samuraiさん
歌舞伎町って、ずいぶん前に行ったきりで、その頃のイメージしかないんですが……確かにこっちとは雰囲気違いますが、なんていうのかな、もっとこうスピード感がある感じで、でもやっぱパワフルでした。渋谷とかより好きです。猥雑ってのなら上野も楽しかった♪
グリコの看板の前ですか。あそこ、何度も夜に写真撮ろうとして失敗してるんですよ~。
↑のsamuraiさんとこで書きましたが、でも、いまの歌舞伎町は変わったとも聞くし、どうなのかなあ? 確かに、こっちとは違う感じでしたが、でもあのギラギラ、グリッターな雰囲気、ってのはこっちではあまり感じないんですよ。どっか「いなたい」乗りの方が強いんですね。
>青空カラオケは自分らが気持ちよければいいじゃん的な印象というか。
そうですね。関西系ですからサービス精神は旺盛ですが、まず自分が楽しむのが先決。その「素直さ」が客を巻き込むんでしょと(笑)。
でも、芸術ってほどたいしたもんじゃなかったすよ、絶対に。ただ、パワーが来るんです、ひしひしと、よかれ悪しかれ(爆)。
ホント、その「よかれ悪しかれ」で、あれを嫌がる人が多いのも仕方ないと思います。大阪の「そーゆーとこ」は、東京の「そーゆーとこ」ほどぎらついて尖ってないけど、なんつうのか鉈でかち割るみたいに暴力的なとこがあって、だから、それを無視するにもパワーは要りますから。
まとまらなくても大歓迎です。それと↓のレス記事化は、ホント、ごめんなさいの窮余の一策なんで、お礼なんかとんでもないっす(汗)。