美しいから美しいと言ふさくら

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 タイトルの句は梶田竹外。
 今回の写真はダメw。明日、もちっとましなのが撮れたらまた別に上げます。

 
 私がネットに戻ったとき、ひさしぶりでおしゃべりしたい人はいっぱい居たけど、その中に一人、どうしても話したかった方が居らした。
 でも、その方は私が出て来た頃には、しばらく更新してらっしゃらなかった。まあ、そうマメに更新をかける方じゃなかったけれど、私がちょうどあのときを契機に戻ったように、その方が、その頃を境に黙ってらっしゃった。そのわけは、私にはわかる気がした。
 で、しばらくたって更新エントリが出たとき、私はぬけぬけと「やっほー」と声をかけた。さすがに何度も落ちては戻りの繰り返しで、気恥ずかしかったからだ。
 その方もどこか「にやり(またかよ、性懲りもなく)」という感じだった。けれど、「きっかけがアレだったにしても」戻って来てくれて嬉しいと(ウソでもw)おっしゃってくれた。そんな風に「やっほー」程度しか言わなかったけれど、その方も、私が戻った理由をほぼ察してらしたと思う。
 そして、その方の数日後のエントリの中に、「遠く離れた場所であれこれ考えているよりも」という一行があった。私は何と言っていいかわからず、「お互いにね(苦笑)」とだけコメントした。
 その方も苦笑が滲むレスで、あのときは行動できるだけましだったねみたいなことをおっしゃった。
 
 私とその方が、この件について交わした会話はこれだけだ。これだけで十分だった。十分な何かを私は受け取った。
 その方は、神戸にお住まいだ。

ツヅキマス




 私は今、言うまい言うまいと自分に言い聞かせているのだが、それでもつい、でも16年前はねと口走ってしまう。今回と比べれば遙かに軽度のくせに何を言うかとか、その経験を盾に人を黙らせるのは卑怯だとも重々わかっているが、それでもやはり口をついて出る。
 そして、慌ててその先の口を閉じる。

 でも、読めばわかるんだよね。本当にどこかで少しでも心を痛めてるのか。単に世間が騒がしいんで自分が苛立って不安がってるだけか、時事ネタとして書いてるのかくらい。
 
 そういうとき、この文章を読んで、泣きたくなるくらい切なかった。

頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。

 こういう言葉の前には、まずはただ項垂れて沈黙するしかないのが人間だと思う。くだくだ小理屈抜かす奴は、顔のど真ん中に一発食らわしてやりたい
ということで、自分も安易に復興と言ってしまったのは海より深く反省している。この文章の真偽を問うような下衆の勘ぐりもあるらしいが、それがどうであれ、書かれた気持ちは真実だと思う)。

 正直、私もこれに似た気持ちによく陥った。
 あのときの、街を覆っていた暗く重い影の下で、全員が窒息寸前だったのは確かだ。「がんばってね」と電話で言った友達を怒鳴りつけてしまったこともある。(間の悪いことに、私は震災の数ヶ月前に、かなりヘビーな個人的事件に出くわしていた
 その後、人の善意に素直にこたえられない自分がイヤになってまた落ち込む。その繰り返しだった。

 そんな時、私は神戸の小さな公園で桜を観ていた。
 その桜を、私は震災前から何度も見ていた。特に目立ったところのない、小さなマンションの間の児童公園だが、たまたま私が桜どきによく行く場所のそばにあり、行ったついでに寄るという感じだった。
 私はそこでベンチにべたっと座り、ぼんやりと桜を見上げていた。
 神戸の街の様子がどうだったとかは、言わないでおく。私はただ疲れていた。何がどうということはないが、ともかく疲れていた。街は復興しつつあったが、その歩みは呆れる程のろかった。あのときは、神戸でも芦屋でも西宮でも宝塚でも伊丹でも、みんなただただ疲れていたと思う。
 
 空は晴れていて、桜は満開だった。
 日を浴びて、ゆさゆさ揺れる花の塊は、希望とか、勇気とか、そういう感じじゃなかった。もっと猛々しくさえ思えた。ちんけな公園の一本きりの桜だったが、それは圧倒的に美しかった。
 私は思い切り首を逸らし、ただ、ああ、綺麗だなあと思ってその花を見上げ続けた。
 桜の花はまだ冷たい風にゆさゆさ揺れて、花びらが散る。私はそれを見上げて、思った。
 ああ、綺麗だなあ、そして、なんて残酷なんだろうなあと。
 こんな街の中で、こんなに桜が美しいというのは、なんて残酷なんだろうなあと。
 自然というのは、こっちのリカバリなんか待ってちゃくれないんだなと思った。未だに立ち上がりかねるこちらを置いて、さっさと花は咲くんだなと。
 それはなんと残酷で、なんと美しいことだろうと。

 それに力づけられたりすれば、朝日新聞に載せてもらえそうな話だが、そういうわけでもなかった。
 だが、別に哀しいとか、落ち込んでるというわけでもなかった。ああ、そうかあという、うまくいえない納得が、せいせいとして明るい諦めといっしょに静かに体に染みこむような感覚だった。*1
 そのとき、何がわかったのかを自分で言葉にすることができたのは、ずっとずっと後のことだ。

 ともかく、そのときの私は、綺麗だなあ、残酷だなあとか、そればかり考えて、知らぬ間に私は古い歌を口ずさんでいた。何歌ってたかな。そういうときは、わりとコーラス部の忘れたい過去が顔覗かせるから、「春の日の花と輝く」なんか歌ってのかもしれない。

■Youtube「春の日の花と輝く」(東京混声合唱団)




*1 この「諦め」っていう言い方、感覚的にはこれなんだが、なんかなあ、どうよ?と、シーゴラスに聞いたら、「代償、かな」と言った。「なにかをわかったことの代償だよ。自分の中で何か大事なことがすとんと腑に落ちるときには、気付かないうちに、やっぱり何かを引き替えに手放してるんだよ。そういうのじゃね?」
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by acoyo | 2011-04-09 21:33 | 愚者の休日 | Trackback | Comments(5)
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Commented by kingdow at 2011-04-10 10:53
昨日の読売新聞に、先日のNZの地震で被災し、救出されたものの右足を切断した(クXマスコミが「もうスポーツできないけど、どんな気持ち?」と聞いたあの)奥田さんが被災者に向けてエールを送るという記事がありました。ぜひ探してお読みください。

今から花見に行ってきます。
Commented at 2011-04-10 11:12
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by acoyo at 2011-04-10 20:41
★kingdowさん
ありがとうございます。探して読んでみます。あの方のこともずっと気になってたんですよ。
お花見いかがでしたか? 今日は晴れたので綺麗だったでしょ?

★鍵コメさん
ああははははははははは(←照れ臭さでかなり暴走気味。いっそ読み飛ばして)……何を今更、あの小汚いビルの地下の古本屋で何かがどっちかに転んだかもしれない仲じゃないですか(爆)。
うん、そういうヒエラルキーありましたね。不幸ってのは被った人には絶対的なもんだけど、第三者には相対的なものなんだと。それはどうしようもないんだけど、今回もやっぱりそれすごく感じます。
Commented by kiyotayoki at 2011-04-16 11:52
今、かなり大きな余震があったので、
acoさんが貼り付けてくださってた「春の日の花と輝く」を聴いて心を落ち着けたところです。
いや助かりました。
(別のことをコメントしようと思ってたんですが、地震のショックで頭からすっ飛んでしまいました^^;)
Commented by acoyo at 2011-04-16 14:42
★kiyotayokiさん
余震はほんと、消耗戦ですからキツイでしょ? できるだけ、心を平らかにってそんなことできないから、きついんですよね。どうか、お体おいといくださいませ。
ほんの少しでもお役に立てたなら、ホント、それが一番嬉しいです。