リスクゼロという幻想
なお、書いた後になってnight_heronさんの優秀な考察発見→生命の値段と過失
まず、法律に詳しい方が読んでくださってたらお伺いしたいんだけど、この6000万という金額が、このケースの「事故による致死」について妥当な金額かどうかってこと。
なんらかの形で「死に至らしめた」なら、それが事故であっても、この子も親御さんも、やはり相応の責任は取らなければいけない。「事故だから仕方ない」という言い逃れはきかない。事故だろうが何だろうが、人一人死んでるんだから。
けれど、6000万はないでしょうというのが、今の貨幣価値でのフツーの市民的感情だと思う。まあ、下衆の勘ぐりでは、この双方の家族、実は相当もめたんじゃないか、感情的軋轢があったんじゃないかって思うんだけどね。
それでもなあ。普通の家庭においそれ払える金額じゃない。だって、「死に至らしめた」にせよ、故意じゃないんだから。
そこで初めて、事故、という言葉が意味を持つわけで、最初っから、「事故だし、ごめん」で済むものじゃない、まして「わざとじゃないもん」で済むものじゃないのね。
この加害者にされた子供は本当にかわいそうだけど、生きていく上で、それは大切なことなんだよ。わざとじゃなくても人を傷つけちゃいけないんだし、まして死なせたなら、そんな風に取り返しのつかないことをしてしまったら、それ相応の償いをしなきゃいけないんだよ。
そんで、問題なのは6000万の妥当性ってことなんだけどね。
後、この「心臓震盪」という死因が世間に認知されることで、こういう「事故」が起こった場合の処置が受けやすくなるというのは事実だと思う。
んでも、TBしたかたもみんな書いているように、それがまた親御さんがたの過剰防衛につながる可能性も高い。ただでさえ、「他に来ている人への迷惑」ってことで、公園じゃボールゲーム全面禁止のご時世なのに。学校でも「教師の監督の下」とかなるんじゃないかと。
私は子供がいないので、何を言っても怒られるんだろうけど、それでも敢えて言いたい。
キャッチボールでもハンドボールでもバスケでも何でもいい、そんな風に当てる意図なく投げたボールが胸に当たった、そこでこの「心臓震盪」が起こる可能性はどのくらいあるのか。そのきちんとした情報が欲しい。それを得た上で、みんな落ち着いて考えてほしいなあと。
つまり、このケースは不幸な偶然が重なった特殊な例なのか、それともどこででもすぐにでも、また簡単に起こりうる事態なのか、ということだ。
日垣隆という人がジャーナリストが居て、この人の言うことを私は全面的に信用はしないが(反証に際してはすぐ統計数値持ち出すとことか)、時折読んでいる。その彼が「世間のウソ」という新著で、「リスクゼロという狂気」ということを言っている。
それは六本木ヒルズの回転ドアの事故の話から始めて、鳥インフルエンザ騒ぎのときの集団ヒステリー現象について書いてる。そこで、彼はリスクゼロというのは、明らかにファシズムの発想だと書いている。そういったヒステリー現象によって、小さなリスク(相対的危険性)をとてつもなく大きいハザード(絶対的危険)に錯覚し(錯覚させられ)た結果、「どうしても一面突破全面展開というがごときゼロか百かの単純二分思考が日本では暴走しがち」だと。そこにまた行政の事なかれ主義が絡むもんで、歯止めがきかないんだよ。
日本では医療と福祉制度が進んだおかげで、今では子供は滅多に死ななくなった。そして、少子化の問題も絡み、今や子供は「何がなんでも」死んではいけない存在になった。
私だって子供は死んでほしくない。彼らは、未来からの大事な預かりものだしね。
けれど、それでも子供は死ぬんだよ。
10万人居たら、そのうちの何人かは確実に死ぬ。殺人という暴力的な形でなくても、事故とか病気とかで死ぬ。
本当に哀しい現実なんだけど、「運」ってものはどうしようもなく人の人生にある。それが負の運だった場合、そんな身に覚えのない「不運」(「不条理」ってのですね)をどう乗り切るかということが、人間の大問題で、そのためにこそ、宗教だの哲学だの芸術だのが出てきたわけです。
けれど、今の親御さんがたが、脅えるあまり、その「不運」さえ排除できる、排除しなければならないという幻想を抱いているのが気になる。それがリスクゼロという幻想だ。そして、その脅えが愛するものを奪われた絶望から、その「不運」をも誰かに、責任のある、ありそうな誰かに「すべて」償わせるべきだ、償わせることができるという強迫観念に傾きそうなのが気になる。(注;それは他人に向くとは限らない、自分に向く場合だって多い)
もちろん、それで気がお済むならおやりになればいいと思う。
ただ、誰よりもかけがえのない人間をある日突然奪われた経験のある身として、私は覚えてる。何をしても失ったものは二度と帰って来ない、誰を呪っても帰って来ない、それが骨身にしみてわかるまで、呼吸さえできない苦しさは続いた。
「運」という言葉を自分で見つけるまでにも、実は何年も何年もかかった。まだ受け入れきったとは言えないのだけれど、最終的に、私にはまだ、この言葉しかすがるものがないんだよ。
興味がある方は→日垣隆「世間のウソ」新潮新書
(ただし、あったり前のことですが、この人の言うこともまるっぽ信じない方がいいです。時折、偏っていい加減なこと書いてますから)
さらにも一つ、心臓震盪についての情報→心臓震盪から子供を救う会
<キャッチボール訴訟>投げた児童両親に賠償命令 仙台地裁 キャッチボールの球が胸に当たって長男(当時10歳)が死亡したのは、外部からの衝撃で心拍が停止する「心臓震盪(しんとう)」が原因として、宮城県大河原町に住む両親が起こした損害賠償訴訟の判決が17日、仙台地裁であった。田村幸一裁判官は「死因はボールをぶつけられたことによる心臓震盪」と認定し、ボールを投げた児童の両親ら被告側に対し、計約6000万円の支払いを命じた。原告側代理人によると、司法の場で心臓震盪による死亡例が認定されたのは初めて。 ...... more
<キャッチボール訴訟>投げた児童両親に賠償命令 亡くなった子供はまったく気の毒だし、冥福を祈るしかない。その家族悲しみも、最近の子供を狙った事件被害者の家族のそれと決して引けを取らないものだと思う。 ただ、その悲しみや怒りのやり場がホントは無いことは、実は半分くらいは分かっているんだろうな。 でも、それよりも誰かにその感情をぶつけるほうを選んだんだろうな。息子の友達とその家族に。 自分の子供が死んでしまえば、そんな気持ちになってしまうことは理解は出来る。 でも、告発されなくても、...... more
Excite <キャッチボール訴訟>投げた児童両親に賠償命令 仙台地裁 何らかの損害が生じた場合、必ずそこに原因があると法律は考える。その原因が人の行為によってもたらされたのであれば、その損害と人の行為との間に、因果関係があるか否かが問題となってくる。因果関係があれば、次に行為者に帰責性があるかが問題になってくる。無過失でない限りは免責されない。しかし無過失としてしまえば、加害者に対する「損害賠償は0となるため」、普通は認められない。 そのため「キャッチボールくらいで」という論争は、法律上...... more
リスクゼロという幻想 悲しい事件です。確かにキャッチボールが禁止された公園でキャッチボールしてた親子も悪い。だけど、彼らにその責任を問うのであれば、そんなやってはいけない場所でキャッチボールをやってる「不道徳」な親子のそばで自分の子供遊ばせてた被害者の親の管理責任はゼロなんだろうか。事前に一言「ここでキャッチボールしてはいけませんよ」って注意は出来なかったんだろうか…。 ま、出来るわけないか。今の日本は他人にモノを言うだけでリスクになっちゃうもんね。そんなことで殺されるような世の中だもんね...... more
昨日の日曜、妻からのたってのリクエスト(命令)に従い、家族でディズニーランドを訪れた。前日より少し気温が高いとはいえ、やはりこの時期にまる一日、外で過ごすのは寒くてツライだろうと思いきや、・・・人出の方はかなりのもので、キャラメル・ポップコーンを買うの...... more
子供が事故で死んで、「運が悪かったんですね」と納得する親はいないと思うのですが、じゃあ、いくらもらったら、十分なのでしょう。何億円もらっても子供は帰って来ないし、気持ちも晴れるものではないでしょう。
死んだ子供の親は、何かにすがって苦しみを取り除きたいのではないでしょうか。その気持ちは分かります。で、それが「6000万円」になったと。
それでも、私としては、理不尽な判決だと思います。
うまくまとまりません。
PS. やはり、家族の間に軋轢があっての、この裁判だと思います。多分、被告は控訴し、泥沼化してしまうと思います。
ところで、この本は興味有りますね。探してみます。
恣意的にやっておいて、「運が悪かったと思ってあきらめろ」と言われたことがあります。そういう輩は絶対に許せません。
(最初のコメントがうまくまとまらなかったのは、こういうことがあったからかも知れません)
自分が子供でその場にいたらと考えてみたんですが(^-^;
小心者なんで近づかないかなと...被害者の男の子は妹が遊んでいるのを側で見守っていたみたいですが。
加害者の親に監督責任を問うのは気の毒な気がします。
もちろん、亡くなった子供とその家族が一番気の毒なのですが...
運とか運命とか、当事者(被害者)以外の人が気安く使ってはいけない言葉なのではないでしょうか。
そうですね、「運」ということはばやった方が使える言葉じゃありません。そういう目にあった人間が、自分に言い聞かせるための言葉です。
私もうまくまとまったとは思っていません。被害者の親御さんを責めるつもりもありません。
ただ、怖いのは、「リスクゼロの幻想」です。その後で起こる集団ヒステリーです。
>jaguarmen_99さん
でしょうねえ。マナーの問題からいけば、間違いなくマナー違反なんですが、私がひっかかるのはこの金額です。日垣隆は書いた通り、加減してお読みください(藁)。
ようこそ!
書いた通り、加害者の親に監督責任はあると思います。事故であれ、監督責任下にある我が子のしでかしたことですから。気になるのはやはり、金額です。
それと、「運」のことですが、PiuLentoさんあてのコメントに書いた通りです。、それはとても哀しい諦めの言葉なんです。私にとってはぎりぎりまで考えても、他に何もなく、最終的に残った言葉、でした。
何もかも「運」で諦めろと言っているのでもありません。そして、私は決して気安く使ったつもりはありませんでした。でも、それがうまく書けていなかったとしたら、私の力足らずだと思います。
いやすごくイロイロ考えたんですよ 金額も過失致死にしては高いよなとか
「男児らはキャッチボールを避けるべき注意義務があった」って10歳くらいでそんなもんわかんねぇよとか・・・
リスクゼロを欲するのはファシズム的だってのもよくわかるんですよ
(安全とかリスクとかは管理できるもんと違うと言う意味で)
でもねぇー・・・やっぱり「運」なのかなぁ・・
賠償問題についてご意見待ってたんすよ! そいで読みました。ううん、読んでからこっち書けばよかった(汗)。どうせ私は主情派。
私もそれが怖いなあと思います。この原告側、今頃、嫌がらせ電話の嵐じゃないかなあって、何でそんな醜い事をする人が居るんだろ……。
★umacoさん
私もすごくイロイロ考えまして、考えた末がこの体たらくです。
ダメっすねー。
*当れば死ぬ可能性を予見できるか・・・確かに今の子は認識不足だと思いますがわかる子はわかっていると思います 私は死ぬかもしれないと思います
だからではないですがこういう場所でのキャッチボールは、ましてスポ少で練習している子ならなおのこと避けるべきだったと思います
金額ですが私は安いと思います
この子のマナー違反は明らかです。それで親御さんが責任を問われるのも致し方ないことです。
ですが、何度でも書きますが、私が怖いのは、それがエスカレートして、キャッチボール=人を殺す危険ということになることです。危ないモノは、何でも止めさせておけばいいとなることです。そして、この6000万という金額は、一般市民の感覚からいえば、そういう風潮を招きかねない金額だと思います。
勿論、子供を亡くした親御さんにしてみれば、1兆円もらっても補いはつかないでしょう。どれだけ請求しても不思議ではありません。
でも、それを加害者でも被害者でもない「第三者」がジャッジして、どう考えてこういう金額になったのか、それがわからないなあと思うんです。
“運”についての意見はこの事件に限らず、あこさんやPiuLentoさんを含めた当事者ということです。
コメント後しばらくたって「もしや誤解を招く書き方だったかも(汗)」と思ったのですが、案の定ですね...申し訳ないです。
あ、ごめんねー、また怖がられるかもー(汗)と思いつつ書きました。
もし、私が誤解した通りだったとしても、一向にかまわないんですよ。その場合だって、遠回しにあてこするんじゃなく、きちんと反論してくれたわけですから。
んでも、私の言い方きつかった? なら、ほんとにごめんね(大汗っ)。
被害者家族(この場合原告?)、なんだかヒドい気もしちゃいますけど、もしも加害者家族の対応に誠意が感じられなかったのだとしたら…。本来なら「運が悪かった」で自分を納得させようと頑張るトコロ、「なんか違う」とか思ったのかも…と思ったです。
(#想像でしかないですが)
私も6,000万円という金額はちょっと気になりました。
加害者家族の年収に応じて計算とかしてるんですかね?
引くわりに、いっつも鋭いこと書いてるじゃないすか(藁)。私もそう思います。こじれた結果だろうなあと。賠償金額の裁定についてはnight-heronさんが書いてくださってますが、なんか、「こんなもんかあ」という感じなんですよねえ。
私、独り者だし子供もいないのでコメントするのが適当かどうかは解らないんですけど、人が死んだという事実は重いものでそれは周りの係わりのある人、全員が受け止めていかなくちゃならないと思います。
その上で言うと法律というものは運用する人間が思慮深く使わないと以前の同例の判例のみに固執したりデータ-だけで判断するとことの責任を考えなくちゃならないという事。そしてこういった事件が起こった時に一時は感情に走ってもそのあと考えることが必要なんではないでしょうか?
賠償金額もだた金額の多い少ないじゃなくそのあとの被害者遺族への補償(実際的なものじゃなく継続して行うという事)を念頭に入れ考えないといけないのではないか?と思いますね。
そうですね。ただ、私が気になるのは、この金額が判例として残り、それが一種の社会的圧力になるということです。そのあたりまで配慮して裁判官が判決を下す必要はないのでしょうが、なんだかもうよくわかんなくなってきました。今日一日、断続的にずっと考えてて、アタマが真っ白。
それが、リスクゼロの社会はない、という認識が無いということじゃないかなあと思うんです。リスクとは、自分が受けるリスクであり、人に与えるリスクでもあるわけで。そこで、自分が受けるリスクには超過敏で、与えるリスクには鈍感という構造ができてる気がします。
大丈夫ですよー(笑)自分の考えを文章にする訓練としてこちらで揉まれるのもいいかもです(^-^;
田舎の親と電話で話したときこの話題になったのですが、20年位前の飛行機墜落事故(坂本九さんとかが亡くなった)のとき、航空会社が賠償額を算出するとき大人は年収を元にしたそうです。子供は無限の可能性があるかわりにその逆もありうるわけで、あまり大きな金額にはならなかったような(あいまい)ことを言ってました。
そう言っていただけて嬉しいです。mixiまたお邪魔しますね。
賠償金額で私もふと考えたんですが、実際にお子さんをお持ちの方とそうでない方との間で、この金額について随分、温度差があるようです。それはzaziesさんが書かれていたように、実際の子供にかけられる保険の金額をご存じだということもあると思います。
加害者の親だったら判決に従い、賠償金を払うでしょう(まけて欲しいが)。
被害者の親だったら、問題は賠償金額の大小ではないと思います。
それより何故、他愛ないキャッチボールのボールが当たって死んだのかが事実を知りたい。
故意なのか偶然なのか。
子ども失って6000万貰っても仕方がないしな。
日本中の公園でキャッチボール禁止になっても解せないよな。
何だか釈然としない判決。特に賠償金がねえ。
「故意」ではなく、そういう事が起こりうることが予見できた、従って過失があったということだと思います。つまり日常用語で言ってしまうと、偶然そうなったけど、そうなるかもしんないとはわかってたでしょということです。
賠償金をほぼ原告の要求通りにした根拠は判例見ないとわかんないと思います。自分で記事書いておいてなんですが、どちらにせよ、これでまたなんか鬱陶しい論争とか起きないといいなあと思います。
感情的にどちらかの親を罵るのはもうあちこちで見かけて、ホントにうんざりです。
被害者ははじめは何も悪くないけど、正当に自分の権利を主張すると、いつの間にか悪者になってしまう。強く責め立てられた加害者がいつの間にか守られたりもする。
知人のお子さんが、大怪我させられて、相手方に話し合いを求めました。
しかし答えは「こちらも傷ついてます。治療費やら払う側のこともかんがえてください。」といわれたそうです。
相手が同級生だったものだから、学校やら、役所やらに相談していました。
ところが、加害者側はだんまりを通し、結局被害者が主張しづらくなりました。
本来は相手と両家で静かに話し合いたかったのに、加害者の態度って大事ですよね。
お子さんは全治のない肉体的な怪我と、これまた全治のない心の傷に今も悩まされています。もちろんご家族も・・。
コメントありがとうございます。
確かにそういったケースは多々見られます。ケース・バイ・ケースでしかモノが言えないところがあります。私はこの被害者のご家族を責めるつもりはありません。でも、加害者のご家族をどうこうも思いません。詳細はわかりませんので。
ただ、第三者として、私が考えたかったのは、ここから派生するリスクゼロ・ヒステリーの問題と、6000万という金額への違和感です。
自分が実際に、「大人のおとうさん」の死亡保障の現実を見てきた経験からは、6000万という金額はかなり驚くんです。「奥さんが働いてなくて子供が居るおとうさん」が過失事故で亡くなった場合、6000万、という金額が動くことは殆どあり得ないものですから。