死んだ人は生き返る、そう答えた子供は3割って、ねえ……?

 古いネタで恐縮ですが、今日、連れから訊いた。その連れから、どうよ?と訊かれ、私は判断を保留させてくれと答えた。状況がわかんなかったからだ。
 それでググってみたならば、日本女子大の教授が2003年に行った調査だそうで、1500人の小学生に「人が死んだらどうなる?」という質問に対して、生き返ると答えた子供が22.3%、分からないと答えた子供は30.6%、生き返らないと答えた子供は、約30%。これが高学年になると30%が「生き返る」と答えた、そうだ。間違ってたり、もっと詳しくご存じの方がいたら、できたら教えてください。

 まず、30%が比率として高いかどうか、 「生き返らない」と答えたこもほぼ同じだし。それが定期調査で、10前に比べたら~という前提ならともかく、今、この質問に対するこの数値を聞いただけでは、やはり何も言えない。だって、アンケートの数値なんぞいっくらでも恣意的に読める。それは昔、企画的な仕事をしていたからよーくわかる。数値が大きいなら大きいで小さいなら小さいで、それに応じた理屈をくっつけて、会議で上司を脅してたもの。
 それよりも、この数値から、即座に、ほうら見ろ、今の子供は死がわかってないとか、ゲームのせいだとか言う答えに至る人は、多分、すごく多いんだろうなと思い、それが嫌だった。あまりに安直だからだ。

 実際、質問項全体がどういう構成で、それぞれの子供たちがどう考えて答えたかわからないと、この数字から意味を読み取るのは難しいと思う。ほんとうに、設問式アンケートってのは数字のマジックが使えるんだもの。それに、ポン女の教授様には何だか、大体、この質問、ちょっと的外してねえか?という気がする。

 日本は厳密に仏教徒とは言えないが、仏教的思想は文化には染みついるから、輪廻転生ってのがある。それで、キリスト教においても、ものすごく乱暴に言ってしまえば、最後の審判における死者の蘇りってのがある。どっちにも、実は、「死んだらそれっきり」っってな考えは、ない。子供たちも、そんな文化体系の中で育ってる。
 それに、だって、おかあさまがた、おっしゃってませんか? 人は死ぬとどうなるの?ってちいさな子供に言われて、「それっきり。消えるだけ」とはあまりおっしゃらないでしょ?、
 お空の星になるのよとか、どこかで赤ちゃんになって生まれ変わるのよとか言いませんか、よく。私も子供の頃にそう聞かされた覚えがあるし、待ってましたとばかりにゲームをひきあいに出さないでも、清く正しく美しい、立派な名作児童文学でもそういうことは語られている。
 
 うちのマンションの駐車場は、昼間は車の出入りもないもので、近所の小学生の遊び場になっている。だもんで、私が部屋でTVを見てたり、パソコンを打っていると、夏の蝉の声の如く、そのかしましい声が聞こえてくる。それはまあ、しかたないと思う。今日日、外で遊ぼうというその意気やよし、目一杯叫びまくれと陰で応援しているくらいである。
 それがある日、「お前、死んだやんか! 死んだんやんか!」という金切り声が聞こえた。さすがに私もどきっとして、外を覗いた。そして、事実がわかった。
 要するに、何とかごっこの中でお前は死んだではないか、なのに定められた条件をクリアしているわけでもないのにすぐにまだゲームに再参加しようというのか、卑怯であろうという抗議だった。その時、私は、ああ、そうだよなあと思った。
 別にゲームでなくったって、何十年も何百年も前から、子供はその時々の遊びの中で、死んだり生き返ったりしてきた。「ゲームをリセットするように」とさも恐ろしげに大人は言いたがるが、鬼ごっこ系の遊びの中だって、タッチされてアウトになったら、それは「お前、死~んだ!」なわけでしょう。「死んだ」子は、しばらく枠外に退去となり、そして「生き返って」フィールドに戻る。
 子供はいつも死んで、いつも生き返ってきたんだよ。
 
 そして、「今の子供は死ぬことがどういうことかとか、わかってない」とおっしゃるあなた。では、あなたこそ、人が死ぬとはどういうことか、わかっていますか?
 その人類最大の謎の一つに、どういう答えをお持ちですか? 簡単に、今こそ、子供に「死」について教えなければ!と意気込むの結構ですが、死について、なんて、それこそ、一人一人の人生すべてが出ちゃう話ですよ。そんな大問題を、マニュアルで指導するってのも怖い話じゃないか?
 もちろん、子供はわかってない。わかってるはずがない。わからないからこそ、謎である「死」と遊びの中で軽やかに戯れてみせるわけで(ああ、なんか文化人類学的物言い)、そうやって少しずつ大人になって、「死ぬ」とはどういうことかが何となくわかってくるわけで。
 実は子供ってのは、殺人くらいしかねない存在なのだというのが私の持論だ。だって、子供だもん。そりゃわかってないよ。小さいうちから、人が死ぬことの痛みをほんとうに知ってる子がいたら、その子は不幸だよ。早くに大人にならなきゃいけなかった子供だよ。

 それがむやみやたらに暴力的犯罪に走らないのは、それは「人の命は大事だ」とほんとうに理解してるからでは、絶対にないと思う。それやったら怒られそうとか、怖いことになりそうとかいう、ごく素朴な恐怖心が主でしょう。それでいいと思うな。社会的存在への発展途上にある子供、という「生き物」に適度な抑制(はい、そこに愛情は必要ですよ、必要絶対条件ですよ)をかけるには、それが一番だと思う。
 問題は、そんなストッピング・パワー(親とか学校とか社会とか、要するに大人一般)が、今はどうやら健全に機能していないってことでしょ。
 
 実際に加害者となった子供が、「人は死んだら生き返る」〈だから〉「殺してもいい」と考えたのかどうかだって、決して明確に検証されてるわけじゃない。弁護士とか検察とか精神医学者とかの「推察」でしょ。生き返ると答えた子が、そう考えて答えたかどうかもわからない。とすれば、やっぱり、この30%を、今の子供の犯罪と直で結びつけるのは危険じゃないのか。
 というか、「人は死んだら生き返る」〈だから〉「殺してもいい」、そう思ったんだ、そうに違いない、と、気安く〈だから〉を持ってくる短絡化した思考の流れ方というのは、何のことはない、今の大人の物の考え方だよな。30%と聞いた途端に、「ほうらみろ、俺がいつも言ってるじゃないの、今の子はゲームばーっかしてるから、こうなるんだ。今こそ、『死』を教えないとさあ」とかいい気に言いたがる大人そのものだと思う。
 言うじゃないですか、子供は親見て育つって。
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by acoyo | 2004-09-10 19:29 | 時事ネタ | Trackback | Comments(4)
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Commented by こぎつねはこんとなく at 2004-09-10 21:41 x
この話題はかなり奥が深いように思います。
acoyoさんのいうように数値をいかに読み取るのかが難しいところですが
わたしはその「人が死んだらどうなる」→「生き返る」と答えた2003年の小学生は、すでに大人を翻弄して遊んでいて本当のところは自分なりの答えを探し出す作業をしないですむ手段を講じているにすぎず、ひいてはその思考停止を隠蔽していることさえも計算に組み込まれているように思います。
acoyoさんはどう思われますか?
Commented by acoyo at 2004-09-10 22:14
……こぎつねはこんとなくさん、鋭い洞察ですね。
ううん。何度も同じことで申し訳ありませんが、質問が行われた状況が見えないと、答えにくいです。
私としては、そうは考えたくないなあ、というのが正直なところです。
Commented by こぎつねはこんとなく at 2004-09-10 23:24 x
つたない意見に返信いただきありがとうございます。
ただ、大人を相手にしない子供に対してどう接するのか、いつかは
答えを出したほうがよいように思うのです。
しかし世間はなんでこんなにパーセントが好きかなあと
おもいませんか?
Commented by kyoto-Eco at 2004-09-11 02:10 x
私は小学生の時、自分も含めて周りの人間はみんな機械で出来ている
かも知れないと疑っていましたし、自分が住んでいる街の向こうには、
何も無いかもしれないと思っていました。
人が死んだら「もう会えない」とは思っても、生死を理解はしていなかった
ように思います。 「生まれ変わる」と「生き返る」では、ニュアンスとして
全く違うように思いますし、この回答が、そのまま何もなかったように明日
にも「生き返る」という意味なのか? で違う気がします。
私塾で小学一年生から21歳の子まで教えているのですが、子供達は
とてもズルイし嘘をつくし、サボルし残酷だし、切れやすい子も多いです
けれど、こちらが投げかけたコトは一生懸命考えて、あっという間に吸収
して、一月もしない内に劇的に考え方が変化しますヨ。