町は、おっとり午睡していた。 半径400キロの散策#1 「飛騨古川」

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円光寺裏手疏水

 古川の町は、想像以上に静かで、何もなかった。
 高山もそうだったんだけど、観光客がどっと押し寄せる直前だったもので、町が普段の顔を見せてくれていたのかもしれない。(NHKの連ドラの舞台になったという和蝋燭の店だけ異様におばちゃんがたかっていた。おかげで蝋燭買いそびれた)
 それで、ここの美観保存区域というのは小さくて、高山ほど気安く古い民家があるわけじゃない。新建や改修した家も多い。そこで市の奨励もあるようで、アルミサッシや新建材を使いつつも昔風の面影を守ろうとしてはいる。
 とはいえ、売り物の漆喰壁も、大慌てという感じで塗り直してあったりして、新家印材の「昔風」がみな趣味がよいとは言えず、どうもなあというものも多々あった。
 だから、「これだけかい」とか「裏切られた」と思う人も居るだろう。うちの古典的教養主義者のマミーなら、間違いなくそう言って怒るだろう。

 けれど、私には、高山よりずっとマイナーな観光地ということもあり、町が町の背丈に合わせて無理していない感じがして、むしろ気持ちよかった。
 何よりも、ここの古いおうちは、あるいは古い造り酒屋は、建て替えてようが多少新建材を使っていようが、今なお普通の住居として、そのままのお酒屋さんとして機能している*1、、今なお家々は生きている。
 その佇まいがとても自然で、感じがよかった。



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 町の碁盤の通りのどこから見上げても、そのパースペクティブの焦点は聳える山並で塞がれる。それは高山とも京都とも同じだが、見上げる山は、はっとするほど近い。
 深い針葉樹の山の緑に、黒い柱と白い壁の街並みはとても綺麗に映えて、町は穏やかにおさまっている。司馬遼太郎も■「街道をゆく」で書いていたが、ここと高山のグランドデザインに携わった領主の金森氏、安土桃山から江戸初期にかけての城主たちは、かなりの美的センスの持ち主だったと思う。

b0016567_194774.jpg ちょうど終業式の日で、疏水沿いの路地を下校する小学生たちと行き会った。てんでに大荷物を抱えた彼らは、夏休みの期待で足が弾んでいる。そこで、一人が甲高い声で何か叫んだと思うと、がばっと疏水に屈み込んだ。
 大騒ぎが始まった。蛙が居たらしい。
 疏水を泳ぐ、色鮮やな鯉たち*2には目もくれず、とのさま蛙を追いかけて子どもたちは鞄を放り出し、路地に腹這いでしゃがみ込んで手を伸ばしていた。ベンチに腰掛けた、登下校路パトロール中のおかあさんがたは、その騒ぎを見ようともせず、小声でおっとりした会話を続けていた。

 蝉の声が幽かに聞こえる他は、白い壁に響くのは子どもたちのはしゃいだ声だけだった。
 夏の物憂い昼下がりの日差しの中、黒ずんだ古い町は建物も柳の木も、すべて午睡しているかのように静かだった。


*1次回に書こうと思うけど、高山の町家もまた、別の意味ではあるが今なお機能し、生きているものが多く、それがあの町の品の良さに繋がってると思う。そこが前回書いた「世界文化遺産」との決定的差かなあ。
*2その伝で、この町の人たちは、ほんまに観光地か?というくらいおっとりしているのだが、その中で、唯一アグレッシブだったのが、この疏水の鯉。まあ、人間だったら糖尿病大丈夫かってくらい太りやがって、疏水にふと立ち止まっただけで、「何? 何くれるの? 餌? 餌くれるの? くれるんでしょ?」とばかりにわあっとたかる。水飛沫が飛び散るほどに集まって騒ぐ。
 同居人は活を入れると言い、あちこちで立ち止まって無駄にたからせては遊んでいた。私は、寺の前でイキモノをいじめているこの男は、きっと後生が悪いと思った。
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by acoyo | 2005-07-22 20:11 | 半径○キロの散策 | Trackback | Comments(12)
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Commented by forest-sea at 2005-07-22 21:22
こうゆう旅行記みたいなのって、ボク書けないんだわー。せっかちなもんでオチを早く書いちゃって、せっかくの風情が無くなってしまうのよ。
なーんか夏の日のゆったりとした午後がいいなあぁぁ。
Commented by uumin3 at 2005-07-22 21:25 x
何か、『新日本紀行』ですか?あの富田勲さんの曲が流れてきそうな風景(の切り取り)ですねぇ。気に入りましたよ。いいえ、魅入らせていただいたような感じです(特に二枚目)。実際にそこに居るときとはまた違うのかと思いますが、高山に行ってみたいと思わせてくれる写真の風情です。(特に何ということもないけれど…というのがたまりません)
Commented by mush at 2005-07-22 21:25 x
津和野かと思ってしまいました(^-^;
気持ち悪いくらい肥大した奴いますね。子供達にとっては鯉はあたりまえすぎるんですね。

通りに面していてもプライバシーがちゃんと守られているのと段差がないのに感心します。
Commented by PiuLento at 2005-07-22 21:32
うーん、いいですね。あこよさんも、いい紀行文を書きなさる。
家とか街って、やっぱり、人が住むのが基本ですからね。こういう方向がいいのではないかと思いました。ヨーロッパの街なんかも、古さが残りつつも、ちゃんと機能しているようですし。
Commented at 2005-07-22 22:18 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by tonbori-dr at 2005-07-23 00:13
観光化された高山よりこういうとこの方がいい感じというのはなるほど納得のすけです。
高山はもう人多すぎですから。もっともメインは牛を食するということにココ最近特化しているのであんまり気にならないんですが(って結局食い気優先かい!)
でも街並みを作るというのはそのデザインを考えた人の考えとかそこに済んでいる人の生活様式まで映し出してくるもんですねえ。
Commented by shou20031 at 2005-07-24 08:18
お早うございます
恋は貪欲ですね。あっと鯉でしたね。
近所の公園の池の鯉もでぶです。お~い。長生きできないぞ~
Commented by PiuLento at 2005-07-24 09:34
この写真、涼しげなので、私の8月のカレンダーに使わせて下さい。
Commented by acoyo at 2005-07-25 21:12
暑さ負けで更新もレスも送れました。亀免許皆伝だもんで(藁)、すいません。

★forest-seaさん
私は森と海さんのように「ブログ用適量」で書けません(藁)。そこが羨ましいです。
はい、夏のゆったりした午後でした。あの紫外線さえ無ければ、もっとゆったりしたかも(大藁)。海抜高いんで日影は相当涼しいんですが、日光が照りつけると容赦ないんですよ。

★unmin3さん
そう『新日本紀行』というかなんつうか、NHKラインですね、所詮(藁)。
飛騨はホントにいいですよ。是非、おでかけください。ただし、↓のtonboriさんへのレスに絡みますが、絶対、人の居ないとき(大藁)。

★mushさん
津和野はね、小京都マニアとしてはすごく行きたいんですよ。実際の京都が近所にあって、子供の頃からよく行ってるだけに、あれより鄙びてるのがぐーってとこで。そうです。あのガキどもには受けました。鯉なぞ跳ねもせんし、どうもでええわいというとこでしょうか。いいなあ、子供は。

★PiuLentoさん
サライ本家にお褒めにあずかり、光栄です。高山もあれだけの観光地ですが、住居や町の家の機能はちゃんと生きていて、かなりな高得点です。
Commented by acoyo at 2005-07-25 21:12
★鍵コメさま
ううん……いいなあ、あの町住みたいんですけどねえ……夏の暑さが。

★tonbori-drさん
実はその高山も、嘘のようにがら空きだったんもんで、印象は抜群によかったという。やはり行った時期によって変わるもんですねえ。んで、私は牛はよかったですが、朴葉味噌責めには些か……(大藁)。
街並というのはとても難しいものですね。グランドデザインは勿論必要ですが、それに縛られてしまうとつまらない計画都市になってしまうし……。
ただ、今の「計画都市」のうちどれだけが、その美を歴史的に保っていけるかとも思います。

★shou20031さん
そう、なんでどこの鯉もデブデブなんだろう。とても他人とは思えず、君、血流は大丈夫かとか声をかけたくなります。
Commented by belltone at 2005-07-26 20:51
亀です。
鯉は公共物として扱われていたので、日本の古都でそれぞれ餌くれぇ、と強請れる程人懐っこいそうですね。どんなに貧窮してても鯉を取って食べる人は居なかったという。僕も高山は好きです。どうやら「変わらないか」、じゃなくて、「歴史を踏まえて変わる事ができるか」というのが大事な気がしてきています。子供も鯉は取らないんですな。
Commented by acoyo at 2005-07-27 21:06
★belltoneさん
>「歴史を踏まえて変わる事ができるか」
例の世界遺産はその過渡期にあると思うんですが、「町」であった高山や古川ほどに、その際どい舵取りをできるのかという不安はありますね、やはり。
子供が鯉を捕らないのは、とうちゃんかあちゃんに怒られるのと、捕っても、蛙ほどに飛んだり跳ねたりと芸をしないからではないでしょうか(藁)。後、蛙なら大きさ的に殺してもさほど胸が痛まないとか(大藁)。