人気ブログランキング | 話題のタグを見る

自己批判の回覧板(これは、つかこうへいの台詞だったな)

テロリストとは生産されているもので、もともとそうでなかった人が肉親を失ったり、さまざまな悲劇的経験で、そうなってしまうものだ。テロリストは増殖するものだ。
だから、「テロリストに味方するのか?」などという想像力のない質問は情けないからやめなさい。暴力はやはり暴力を生む。この陳腐な事実は否定できない。

 昨日の記事「まだキャット・スティーブンスを覚えている人へ」に対して、いただいたコメントです(要約は私ですので、問題があれば私のせいです)。
 まさにその通り、おっしゃる通りです。返す言葉もなく、項垂れて己が身の不明を恥じ入るのみです。私も普段、そう考え、そう言っていることです。テロリストは作られるものではありません。そうなるものです。暴力が暴力を産むことは、とても陳腐な事実です。ゾンビみたいにと、クランベリーズもそう歌っております(ドロシー嫌いだけど)。否定できるものではありません。否定する気も毛頭ありません。
 
 もちろん、どんなに美しい歌を書こうが、人は人を殺せるものだということもわかっています。それはどこまでもありふれた、哀しくも情けない事実です。
 ただ、あれを書いた時点で、私自身、非常に混乱しておりました。普遍的事実を事実として知っていることと、それを個人的事実として受け入れることは違うということに、それを文章にして非常にささやかな場とはいえ、公表することの難しさに一人できりきり舞しておりました。
 そして、正直に言えば、この場でそういったリアルな言葉を使うことが何よりも自分に対して怖かったというのもありました。断定してしまうには情報はあまりに足りず(私はこの歌が非常に好きではありますが、歌った当事者への知識はほとんどなかったものですから)、でも書かずにはおれず、それやこれや私自身の、あの歌への思いというもので完全に視野狭窄に陥っておりました。
 その時の感情の元というものは、1.テロリストのシンパが作ったということで、この歌も消されてしまうのか?2.歌に作者自身を救う力はないのか?というものでした。それがうまく伝わらなかったのは、私の筆力の無さと、度胸の無さでした。

 それがアップしてから4度にわたる加筆修正になった理由です。それも書く毎に言い訳がましくなり、最後は自分の未熟さにほとほと嫌気がさしての「自己批判」だったわけです。どちらにせよ、まずい文章です。
 こんな未熟な己を鍛えるためには正座以外にも苦行を加えるべきではないかと思っています(歯医者の定期検診に行くとか)。今は、あの記事を「なかったこと~」にして削除するか、情報を収集した上で修正校を上げるか、それともこのまま置いておいて、己への戒めにするか、で悩んでおります。

 で、キャット・スティーブンスに関しては、現時点で集めた情報では、彼は今、宗教家として活動しているようで、ハマスへの献金についての詳細は不明です。ですが、英国の《ガーディアン》などに反《反イスラム主義》の寄稿をして、イスラム教が過激で暴力的な宗教であるという意見を偏見として批判していたりするようです。なあんか、またあれか、キリスト教原理主義者ブッシュの言いがかりかあ? という気分になっております。

 憎しみが憎しみを呼ぶことはわかりきっています。私だって、目の前で近しい人が殺されれば銃を取るでしょう。元々過激な性格ですから、一都市殲滅だって平気でやるでしょう。
 「だから、みんなでImagineを歌おう」とか言う人もいますが、Imagine歌ってるだけで平和が来るなら、私だって三日三晩歌ってもみせましょう。
 「権力者同士がスタジアムで決闘すればいいのに~、民衆は関係ないのに~」という意見も聞いたことがあります。民衆が関係ないんじゃなく、まず民衆自体が、その民衆の哀しみの集積から生まれる憎しみにがんじがらめになってしまうから、こうなってるんです。そうなると、逃げてゆく女の子の背中に、宗教が違うという理由だけで、人は平気で銃を撃つようになるんです。若い身空で爆弾抱いて、フツーに暮らしてる人のまっただ中で自爆できるんです。それはよくよく、わかっています。
 わかっていることですか、それでも私は「何故?」と繰り返します。理解できることと、納得できることは違いますから。

 ですが、Moonshadowを書いた人も、それから逃れられないのか?
 人を癒す(これも使われまくって大嫌いな言葉ですが)歌を作る力は、時として、その《憎しみつながりの輪》から作者自身をも救ってくれるものではないのか? 
 創作を産む力の魔力(太宰曰く「永遠においでおいでの悪魔」)は、当人の頭を吹き飛ばさせたり、麻薬に溺れさせたりするものではあっても、このあまりに不毛な《憎しみの連鎖》砂漠からだけは、救ってくれるものではないのか。
 私はそういうロマンティックな寝言を、どこかで信じています。信じたいと思っています。
 
 U2のボノは、もちろん、アイルランド人ですが、映画Rattle and Humの中で、Sunday Bloody Sunday*1を歌うおり、「Fuck Revolution!」と叫びました。彼の元へ(闘争資金援助をあおぎに)来る北アイルランド独立運動過激派、自称革命家たちににです。革命の栄光じゃ何じゃあ、そりゅて何なら、人殺しじゃろが、未亡人と孤児を作ることじゃろが、そんな綺麗な名前の下に、見てみい、(憎しみの連鎖と)瓦礫と死体が埋まっとろおが、やっちもねえ。わしらアイルランドの衆(本国ですね)はもう誰もそがいなことは望んどりゃせん、No more もう沢山じゃわと、彼は若気の至りで喚き散らします。(おかげで未だにRIRAから追いかけられているそうですが) 最近のコンサートでは「(平和的解決のための)妥協は美しい!」と数万人のファンに叫ばせておりました。相変わらず、気の若い人です。この人はこうでなくっちゃいけません。
 そうして、私も気だけは若気の至りで思います。
 There must be some way out of here.――ここから出る道はあるはずだ
  (All Along The Watchtowerだけど、気分的にはジミヘン・ヴァージョン)
 そこから出た人もいるはずだ、と。
 思春期の私にとって大切だった歌を書いた人が、そうあって欲しいと。こどもだった私が抱いた直観が、今も正しいものであってほしいと。今はそう思っています。

「かれら(不信心者)に会えば、何処でもこれを殺しなさい」
「仮にあなたが、わたしを殺すためにその手を伸ばしても、わたしはあなたを殺すため、手を伸ばしはしない」
 
 どちらも、コーランの言葉だそうです。まあ、それで言うなら、聖書だって、仏典だって、矛盾するテクストに充ち満ちています。人間そのものがそうなんですから。

 というわけで(何が、というわけ)、浮き足だっていた私に一括喰わせていただき、ほんとうにありがとうございました。(これは偽らざる気持ちです) さあ、また正座してから歯医者の予約を取ろう。何だか今日は、すごくDon't Look Back In Angerが胸に染みるわ、何故かしら。

*1 ジョン・レノン、ポール・マッカートニー他のミュージシャンも歌にした、有名な北アイルランドでの流血事件を歌った歌。
by acoyo | 2004-09-25 12:10 | 愚者の休日 | Trackback | Comments(2)
Commented by past_light at 2004-09-25 19:46
誠実なお答えありがとうございます。
とはいえ、書き方変でしたよね。誤解を与えたかな。
誰に向けて書いたわけというものではなかったんですが。
誰に言ったんでしょうね、地球の半分ぐらいの人口かな(笑)。

それからキャット・スティーブンスが、どうかというのはわかりませんし、過去のことなのかもしれないでしょ。
ハマスって、もともと過激的だったのかどうか、ぼくは詳しくないですが、普通の慈善組織でもあったんでしょ、当初。
大橋巨泉が議員辞める時、自分は国会のハマスみたいな台詞を言ってたのを思いだします。
自己正当化で、そうとう破綻した行動だったかも知れないが。

昨日書いたのは勇み足なんで、片方しか書いてないよね。
片方はあなたの言われるとおり、
>私はそういうロマンティックな寝言を、どこかで信じています。信じたいと思っています。
寝言とは思いませんけど。
>「(平和的解決のための)妥協は美しい!」
これも賛成の反対の反対。
Commented by acoyo at 2004-09-25 19:51
>それからキャット・スティーブンスが、どうかというのはわかりませんし、過去のことなのかもしれないでしょ。
と、ファンの友人ががんがんメールを送ってきます。情報錯綜してるようで、全然ないっていう。
いえ、言っていただいて本当によかったです。一番、情けないのは、マスコミとダンスしちゃったことです。