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映画でかかったあの歌この歌あんな歌 #2『欲望の翼 阿飛正傳』とラテン音楽


MARIA ERENA(XAVIER CUGAD):『欲望の翼 阿飛正傳』(王家衛)
映画の紹介とあらすじ(allcinema online)

 彼で音楽でとなると、当然、『恋する惑星(重慶森林)』の「夢中人」かCalifornia Dreamingを上げるべきかもしんないけど、敢えて外した。
 つうのは、私はこの映画のラテン音楽、それも一昔も二昔も前のふるーい、往事のムードミュージックってなラテンミュージックの使われ方が好きで好きで。
 その音がホント、香港の夏の蒸し暑さと気怠さを観る側の膚に訴えてくるようでさ。登場人物の膚だけでなく、画面自体がじっとり薄く汗ばんでるような、微熱感が籠もってるような映画で、街の空気の中の熱や湿度、匂い、俳優の体温や匂いまで撮れてたのな。香港という街全体があまねくフォトジェニックに息づいてた。
 だもんで、これ観てると、何で『重慶森林』で王家衛がブレイクしたかがよくわかる(これをちょい薄めた感じか)。それを「ま、おたれ」「スノッブ」と嗤うのは簡単だけど、当時の王家衛はステイルがある監督なんで、「おたれ」じゃねえの。ただのスノッブにこれだけ「かっこいい映画」が作れるか。
 映画というのは疾走するエロスなんだってのを、当時の王家衛は体で知ってた。つまり、画面のすべてが骨の髄まで映像的、劇場でしか感じられない何かに充ち満ちてたんすよ、『ブエノスアイレス』までは(ただし、当たり外れのでかい人なんで、『楽園の疵』『天使の涙』は省く。私がどれだけこの二本に興味無いかってのは原題覚えてないのでわかるw)。

 んで、全篇流れるそのラテンミュージックだけど、私はあの手の音楽とは子供の頃に実に不幸な出逢い方をしてる。何せ、うちのダディのフェイバリッツ・ミュージックだったから。
 私が洋楽聴き始めた厨房の頃、ダディとは居間のステレオを取り合う仲でして、いや、ダディのだったけど(藁)。んで、負けた私が階上で哀しくラジカセでビートルズ聴いてると、階下で大音量で鳴ってんの、そのラテンが。大嫌いだったよ、アルゼンチン・タンゴからサンタナまで(大藁)。
 それがこの映画で一気にはまった。当時は、サントラが手に入らなくて自力で作ろうとしてたら、このザヴィア・クガート楽団もダディが持ってた(藁)。ダディは嬉しそうに、いろんなCDくれた。それで私はピアソラも聴いた。どの曲も、聴いてみればみんな知ってた。
 このMaria Erenaも、小さい頃、居間やお出かけの車の中でかかってたんだろう、きっと。

↓すまぬ、まだツヅク



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 これは、ランニングにトランクス一丁のろくでなし、レスリー・チャン 張國栄(号泣~合掌)がたるそうに起きてレコードをかけ、鏡を見つめてなんとなく一人で踊りながら、部屋を横切る、という場面。かかってるのはザヴィア・クガート楽団のMaria Erena。聴けば、ああとわかる曲ですわ。
 短い場面だし、ストーリーには関係無いショットなんだけど、観た人は鮮烈に覚えてると思う。だって、この一場面で主役の男のいい加減さもずるさも、だからこそのかっこよさも、画と音と役者の体のみで表現しきってるんだもん。まあ、台詞で一から十まで「説明」されるのになれたぬるい観客には、ファンサービスと見るか、レスリー素敵ってだけかもしんないけどさ。
 でもね、彼の欧米規準で観れば貧相な体が放つ「映像的官能」ってのが一瞬、画面をかっと輝かせてる、これってすごいことなのよ、映画では。前回の『GONIN』で繰り返し書いた、存在感→画面の発情現象ですね。

 有り体に言って、私はレスリー・チャンは大好きだけど、顔も体型も全然好みじゃない。ほんで、俳優としては『色男色女』とか『金枝玉葉』なんかが本領かなと思う。ライトコメディに必要不可欠な「軽み」があって、実はそういう資質を持った役者ってそう居ないからさ。(ついでに書くなら、「憑きもの芝居」「狂気芝居」も結構だが、それをクソ重たく、猿にでもわかりそに演ってるものしか評価しない傾向、なんとかして。あのさ、徒に重い芝居しかできないのって、ただの大根やん。レスリーがその手をやるときは勿論、怖いけど、無意味に重かねえよ
 ……とは今も考えておりますが、これ見ると、同時に、ああ、この人は一にも二にもスターなんだと思うわけですよ。勿論、演技力は腐るほどありますが、ナルの発動のパワーが尋常じゃないんだわ(爆藁)。銀幕スターのナルシシズムってこれよってとこ。それが映画をどんだけ輝かせるかっての、痛感するね、観る度に。
 私が日本のイケメンには殆ど興味がないのは、そのパワーとオーラが皆無だからさ。

 そういう風に、映画のスターさんってのは、そのなまめかしさが映画全体に艶を与えてなきゃダメなの。それは前回も、暴力系映画についても画面の発情度こそがイノチって書いたけどさ。だって、「殺る」場合も「犯る」場合も、結局、創作上で表現されるのはエロスなわけだし。
 そんな風にフィルムを発情させる力が、当時の王家衛とレスリーにあったってことで、私は『覇王別姫』より、こっちを買います。
 勿論、陳凱歌も好きだし、『覇王別姫』は確かによくできた映画だ。けど、何せネタが私の不得意な「嵐も吹けば花も咲く、女の道は何故険しい」だしさあ。となると、彼の色気のベタな部分が暴走して「中国三千年秘伝のタレ」風になり、あたしゃ消化不良起こしたの。結果、毎度毎度呆れるほどうまい張豊毅と、どすこい鞏俐にばかり目が行った(藁)。あのペアが横に居なければ、あの映画はお笑いに振ったと思う。あれでも十分お笑いで楽しいと連れは言うのだが。(個人的には、陳凱歌なら『子供たちの王様』がベスト

 んで、前回ちらっと書いた日活無国籍映画なんすけどね。王家衛も間違いなく影響受けてるよな。私は不幸にも、日活ってろくに観ずに来てたんだけど、ここ何年かケーブルで日活の映画観ることが増えて、その凄さを思い知りました。
 映画における健全なスターシステムってのは、ともかく「かっこいい映画」撮る力になるんだよな。スターさんが真ん中でがんと居るから映像上の実験も打てるんだよね。


梅艶芳がJUNGLE DRUMSをカバーしてる主題歌もすごくいい
China Pops名曲選之一 是這様的(1)(まちごめ別館)
by acoyo | 2006-04-03 13:18 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(3)
Commented by s/yumic. at 2006-04-03 22:11 x
東邪西毒(楽園の瑕)、好きなんすけどー、あこねえたまー。
Commented by zazies at 2006-04-04 00:33
スターさんのなまめかしさ…なまめかしさ…なまめかしさ…なまめかしさ…なまめかしさ…
Commented by acoyo at 2006-04-10 15:41
★ゆみたん
ごめん(爆)。あれはダメなのよ、あれはどうも……あそこまでスタイリッシュだと「おたれ領域」に突入しちゃうのよお(涙)。

★zaziesさん
おっ、お久しぶりですって、なんて遅レスざんしょ。
そうです。なまめかしさです。広東男にあって日本の男に今、一番欠けているもの。それは結局、テンションの問題かなあって気がします。