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さよなら、おっちゃん。あたしゃあんたが大好きだったよ。


急死した田村高廣さん遺言…近親者だけで密葬

 最近、映画ネタ続くよな、そろそろ音楽ネタでもと思ったところにこのニュース。昨日は一人しみじみ喪に服したりしておりました。

 いえね、幼い頃からオヤジ萌えのわたくしが田村高廣を見逃すはずがなく。下の二人の弟さんにはまるで興味も無く(特に正和な。思わせぶりだが中身の無い使いやすいかもしんないが味の薄いタレントだと思う。少なくとも役者じゃない)、ただただ高廣様でございました。

 tonboriさんが書いてらした「兵隊やくざ」も勿論、好きよ。そいで、私は時代劇での、その存在感も無論、なんとも伝法な江戸弁が死ぬほど好きでした。
 あの方は京都出身だから、実際は関西弁の方がうまいんですけどね。でも、あれだけ見事な口舌の江戸弁で喋れる人がまた一人消えました。
 粋、とか、いなせ、が体現できる役者が、また一人消えました。かくして、「粋」も「いなせ」もどんどん消えていきます。

 後は、やっぱ、なんといっても『泥の河』かなあ。
 私にとっては、邦画オールタイム・ベストを取ったら、確実に上位争いに食い込む傑作、つうか、「映画館で観た時の感動深すぎで観返すの怖いわ」的一作なんだけどな。前に書いた『竜馬暗殺』と似たような感じで、「日本映画週間」とかの時に大毎地下で観たと思う。(関係ないが、大毎地下もとーっくに潰れちったんだよな。あそこくらいお世話になった映画館もないというのに。んで、もっと関係ないが、あの映画さえ観ていなければ、うちの同居人改めシーゴラスの「骨の髄まで下町育ち」にふらっといったりはしなかった。母校に佃煮にできるほど居た、お品のいい山の手の坊ちゃんとくっついてたはずだ
 あの食堂のとうちゃんの役がものすごく好きだった。きいちゃんの歌に聴き入る顔が忘れられん。

 単に立ってる座ってるってだけで、「しんしんと」、その役の全人生を感じさせる芝居ができた人だった。
 といって「渋い」ってだけじゃないのよ。その気になれば垂れ零れるほどの色気が出せた。はっとするよな大見栄も切ってくれた。つまり大輪の華をやすやすと咲かすことのできる人だった。
 ともかくいろんな意味で、「大きい」役者だった。

 んで、田村高廣が亡くなったというのは、そんな一人の名優を失った、というだけではなく、かつては居た「美しい日本人」、というか「私の大好きな日本人の男」がまた一人消えたってことなんだな。何せ、これもう数が少ないのよ、すごく。イリオモテヤマネコ並の希少種。
 だから、寂しいんだ。すごく、寂しい。

 それで一つ言っとくけどさ、こういう見応えのある顔のおっちゃん、惚れ惚れするよなご老体が減ってくことで、今の若えもんの顔のつまらなさが加速してく気がすんのな。
 だって、対抗するべき先行世代が厳然と聳えたってなきゃ、若えもんの面構えは弛緩してく一方やんか。そんなおっちゃんの「大きさ」への「なにくそスピリッツ」が若えもんの面をびしっとさせるんだもん。(→例:パトレイバーのシゲさんがカッコイイのは榊のおやっさんがおるからで、遊馬のいたらなさがいたいけさに見えるのは後藤警部補がおるからだもの)
 つまり、頑固ジジイとくそババアこそが、「イキモノとして美しい」ワカモノを作るのではないのかと、最近、わたくしは思うわけ。
 んだからさ、「いつまでも若いワタクシ」に執着するんじゃなく、ばしっと老けてく、びしっと老いてく。それって、後発世代への義務でもある気がする今日この頃。己も深く肝に銘じておこっと。

田村高廣さん逝く。(web-tonbori堂)
小夜奈良。田村高廣さん。(風を泳ぐ)