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『細雪』のことやったら、ちょと付け足させてほしいんやけど。~大阪弁と船場言葉

『細雪』(映画の心理プロファイル)

 kiyotakiさんが大好きな『細雪』について書いてらして、嬉しいなあと読んでたんですが、そこでふと、あ、やっぱ、非関西人にはわかりにくいとこがあるんかなあとか、思った。

 それは『船場』いうことやねん。
 舞台は主に芦屋でも、『細雪』は、関西いうより、「船場の人ら」の話やねんわ。
 せやから、あの、この映画で役者さんらがしゃべってはんのは、「関西弁」、いうかそう言わはるんは多分、大阪の「浪速弁」いう感じなんやろけど、あれはそうやあれへんねん。勿論、関西弁でもええやんいうたらそうやねんけど、あれはやっぱり「船場言葉」やねん。谷崎さんの奥さんやった松子さんも、船場の人やねんわ。
 あれは、船場言葉で、関西弁でも浪速弁でもない、それは、ネイティヴにはちょっとこだわるとこやねん。

 ツヅク↓ えっろう長うなりまして、なんやほんま申し訳のうて……。



 wikiによれば、大まかに「関西弁」と呼ばれてるんは、京阪神の方言やそうで(別に奈良やら三重やら差別してるんとちがいますよ。wikiにそう書いてあるねんもん)、そやったら大阪弁、神戸を代表とする兵庫県南部の方言、京都弁いうことになるわね。
 それで大阪弁は浪速弁と河内弁に別れるわけやけど、その中でも船場言葉は少し特殊な部類に入るんやわ。

 まあ、いうたら、「戦前の大阪の上流階級の一部が使ってた独特の話し方」やねんけどね。んで、その上流いうても階級だけのことやのうて、ほんまの船場言葉いうたら、大阪市内のある集団の所属者に限定されてるねんわ。
 その集団がかつての「船場商人」なわけやねん。
 
 その「船場商人」がいた船場ってのはどういうとこかいうと、大阪市中央区(だけやないねんけどね)あたりの「東は東横堀川、西は西横堀川、北は大川、堂島川、南は長堀川」に囲まれた地域。また、「船場の南側、つまり長堀の南側から道頓堀の間で、東は東横堀川、西は西横堀川」に囲まれた地域が島之内。まあ、一応、普通はそのどっちも「船場」と呼ぶみたいです。
 せやけど、こう地名をずらずら並べたて、今は埋め立てられた川も多いし、「何のことやら」やろし、どう言うたらどんな感じかわかってくれはるやろてシーゴラスに電話したら、「元は大阪城のお壕内やったとこ」。
 つまり、大阪のお城下の商人、それもお膝元にお店構えて、お大名とも取引してる大店中の大店。今の総合商社やら銀行やらみたいな商いしてはった、要するに「老舗の問屋筋」のことな。

 これに対して「浪速の商人」。これは幼なじみのご主人のご実家がそうなんでし、さっき電話して訊いてみたら、「お城からはちと離れた界隈で小売りが主、要するに商店街のお店やってはる人らのこと」やて。
 
 つまり、船場の商人と浪速の商人とでは、居てる場所も、何より客筋が全く違うねん。まあ、格がちゃうねんね。
 せやから、『細雪』の蒔岡四姉妹の誇りの拠り所いうんは、お家が「船場の蒔岡」やてことや。それを大阪商人て言うてしまうと、ちょと違う。
 まあ、船場言葉いうの知ってはる方かて、よそのお人やったら、「どっちも同じやろ」思て「大阪弁」とか「関西弁」て使わはるんやろうけど、こっちからしたら、ニュアンスが全然違てくるんよね。わかりはらへんことや思うし、しゃあないねんけどね。
 
 実際、「船場言葉」は、普通の浪速弁(ところで、TVで吉本が使うてるのはあれは浪速弁とちゃうしね。あれはショーアップされた河内弁ベースの人造方言で、「吉本弁」いう感じやし)とは、聞いただけでもちょと違てます。問題なんは、先に書いたように、それが単に上品な浪速弁、UGいうんやない、いうことやねんわ。
 たとえば、上方の古典落語で、長屋の留吉が、普段お世話いただいてる大店の御寮人さん(ごりょんさん=奥様)にご注進ご注進て走るやん。そんとき留吉が使うんが浪速弁、御寮人さんが使うんが船場言葉なんよ。
 ま、言うたら格の高いとこのお商売人さんの言葉やよって上品、いうか、まろい、いうか。せやけど相手によってえらいきつなったりもするし、ああ、浪速弁とは物の呼び方も違たりするわ。
 東京の「山の手言葉」と「下町言葉」で比較してもいいねんけど、さっき書いたように階級やのうて「ある特定の集団」の言葉やし、やっぱり違う感じがする。お店用の隠語も多いしね。
 
 実は、うちのおかあちゃんは、学校出て、前に書いたように東京行かはる前に、ちょっとの間、船場の島之内の会社に勤めてはってん。そこの社長さんいうんはまあ、船場のぼんやったわけで、東山魁夷のパトロンで、画伯がご機嫌伺いに来てはったとか、そういう話をよく聞かされたんよ。(船場の御寮人さん言うんは、鷹揚そうに見えて細かいとこケチやいう映画の台詞には、くすくす思い出し笑いしてはった
 ほんで、うちのおかあちゃんは東京で勤めてた方が長かったんで、今もあんまり関西弁喋りはらへんいうんも前に書いたけど、そのおかあちゃんが最初に覚えた関西弁が船場言葉やねん。
 そやって、うちではご近所ではあんまり聞けへん呼び方いうんがいくつかあってん。さすがに、お菜のことを「おまわり」と呼んだりはせえへんかったけど(藁)、たとえば「おはさ」(はさみ)やら「おざぶ」(座布団)やら「おさつ」(薩摩芋)やらは、普通に言ってたわ。
 
 おまわりでぴんと来た人もいてはる思うけど、はい、そうですねん、船場言葉は京都弁の影響を強う受けてます。前読んだ本では、
1.船場商人が気取りたいあまり、京言葉を真似た。
2.船場商人が(以下中略)、京都のええとこからお嫁さんを取った 
 ∴、船場言葉に京都弁が入り込んだ、いうことでしたわ、確か。あと、平野・伏見・近江商人が出入りしたことで、その地方の方言も混ざったんやて聞いたわ。
 せやし、『細雪』の四姉妹のおかあさんも京都からお嫁に来てはりますやろ。(原作読むとようわかるねんけど、あの話の美意識とか格の規範いうんはすべて「京都」にある。例の大阪人の京都コンプレックスですわ

 まあ、その言葉も、戦災や戦後の経済構造の激変で、船場商人自体が没落して、もはや絶滅寸前の古語。今、生粋の船場言葉話しはるいうたら老舗の女将さんか、よっぽどええしの老婦人いうとこやろか。むしろ芦屋あたりのお宅に、部分的に残ってるかもしれへんなあ。
 
 芦屋のことが出たんで、長なりついでで書いとくと、蒔岡家の本家は上本町九丁目(大阪市天王寺区)、分家は阪急芦屋川(兵庫県芦屋市の山手)。これ、今の感覚やと芦屋が格上ちゃうやろかと思いはる人もおいでやろけど、当時は違います。
 これも前に書いたよに、谷崎さんが書かはった頃、まだ芦屋は阪急が開発した新しい住宅地やってん。大正の頃に、多くの船場商人が事業拡大から職住分離を始めて、芦屋に移りはってんけど、元々、緑豊かで長閑な田舎やった芦屋とか神戸やらの方には寮(別荘)を作ってたりもしてはったしな。せやし、あの洋風建築が多い独特の景観は、そん人らの贅沢でできたもんですわ。そのあたりがまた阪神モダニズムいうんと絡んでくるんよね。。
 つまり、旧式の本家は格を守って船場に住む。ハイカラな分家は芦屋に住む。『細雪』はこういう構図やねん。そやからこそ、鶴子さんは東京転勤て聞いた瞬間、目の前真っ暗にならはるし(天子様が居てはろうが首都やろうが、船場で生まれ育った女にしぃたら単なる格落ちやん)、それがわかるんは同じ血ぃ受けた姉妹だけやねん。そりゃあ、ご養子さんにその悲しさが「わからはる筈あれへん。所詮、あんさんらはよそから来たお人やよって。勤め人の家の出ぇやよってな」
 
 もっとついでに書くと、小娘の頃、女の連れの間で『細雪ごっこ』いうんが流行ってん。お雛様やお花見や七夕やお月見やお雪見や理由つけて、着物着ての招ばれっこしててんけどね。
 そんでお茶たてたり(うちはビンボーやけど、連れはみぃんな「田舎の旧家のお嬢さん」やったからお茶もお花も習うてる、お道具かてある。ついでに花見もそこんちのお庭でできるねん)して、まあ、要するに食っちゃしゃべり、やったんやけど、トーゼン、聞きかじりの船場言葉使うたりして。ポイントはともかくゆっくり話すこと(爆)。
 お互いの親もそういう小娘の「雅な遊び」には、まあ年頃やねえ、着物着て綺麗やないか、ああ女の子産んでよかったわぁてなもんで、当人ら以上に盛り上がってはったかも(爆)。せっせとご馳走作ってくれたしな。(元は庄屋さんやったお家なんか、金屏風に緋毛氈敷いてお膳で出してくれた)。そこで、「御寮人さんと女中ごっこ」とかもやったなあ(私が御寮人さんな)。……それて幼稚園かいな、うちら。
 せやし、後で、ゼミの教授の奥さんが船場の旧家の人(すごい美人やった)やったもんで、ゼミの雑談タイムでそういうこと話してたら、ほな、どんな風なんかここでやってみ、しゃべってみ、て言わはってん。せやし、やってみたら、そんなん全然船場言葉やないわ、うちの女房のとは全然違うわて、怒られた。

 ……関西弁で会話やモノローグ書くのはむっちゃ楽だが、関西弁で文章書くのはむちゃしんどい。つうか、フツー、ここまでべたに関西弁展開でしゃべることもないもんな(藁)。


うっとこの関西関連エントリ
だからって気安う「アホアホ」言うてたら、しばかれまっせ。
シーモンスは、阪急と阪神について考えてみた。

外部の参照リンク
船場 島之内
大阪弁
by acoyo | 2008-02-29 18:38 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(10)
Commented by jaguarmen_99 at 2008-02-29 18:54
「おさつ」っていうのは全国共通のお公家さんコトバなのかと思ってましたが、歴史や民俗をひもとくと面白いものですねぇ。その楽しみ方こそが雅らかだなぁ、とも感じます。私は東京生まれなので「それが粋ってもんだね。」と言いますが、これじたいもすたれた言い回しなんですよねぇ・・・。コトバってその音感から相手に伝えることが「暗黙の了解で理解できる」とこがあってそこには必ずその界隈の生き様が反映していると感じます。コトバの文化っていうのは小さくても大切にしたいものです。

Commented by acoyo at 2008-02-29 19:23
★じゃがさん
ども!
ええとね、書いたように、船場言葉は京都弁の影響を受けてますから、おさつだのなんだのも京都弁、お公家さん言葉だったんだと思います。要するに気取ってたんですな(藁)。
んで、東京ネイティヴの「粋ってもんだね」、かっくいい。それこそ粋やおへんか。(大阪も都市だから、「粋」は重んじます)
私は、方言がすごく好きなんです。坊ちゃん、嬢ちゃんには、綺麗な標準語同様、きちんとした地元の方言も身に付けて欲しいと思います。なぜって、「話し言葉としての標準語」は、リアリティでも品格でも、決して方言にはかなわないと思うんですよ。
Commented by gun_gun_G at 2008-02-29 22:58
多分この話題はいつかこちらで書く事になるだろうなあと思ってましたが
Gがいた美術学校というのは高卒で入ってきた方もいれば
定年退職で第二の人生のために入ったきた方、
新しく趣味を持ちたい方などで年齢幅が広かったんです。
で、まあGなんか若い連中は関西地区から来た友人の言葉を真似て
関西弁っぽい喋りなんかをしたりする時があったりしました。
(別に馬鹿にしてるわけではなく中には彼氏の影響という方もいた)
その頃に年配の同級生の方で、それは違うよ、ということで
私は高槻だからこう、あの人の出身は京都宇治だからこう、
あの人は兵庫でちょっと神戸っぽい喋りだからこう、
といった感じで、関西地区の様々な言葉の違いを
わかりやすく教えてくれたんですよね。
後にその同級生が文筆を主にやってたのを知ったんですけど、
いい意味で勉強になった記憶がありますね。
言葉は本当に大事な文化だっぺよお。(最後だけG本籍の茨城弁)
Commented by tonbori-dr at 2008-02-29 23:33
ほんまに船場言葉はむつかしいし、絶滅危惧種、レッドカードですねん。
しかもど真ん中に住んどってもTVやらなんやらでかなり侵食されてまっさかいに。

天王寺区もそうやけどあと帝塚山あたりなんかはリアルでお金持ちやもんね。このあたりは古い屋敷がたくさんあったけど、ここ10年で徐々に無くなってんねん。このあたりも古いもんはどんどん押し流されている気がしますなあ。
Commented by bluegene at 2008-03-01 09:23 x
わたくし、「船場」の読み方を知らなくて恥をかいたことが orz 
素直に読めば「ふなば」だと思うの・・・日本語きらいぢゃ!

「船場吉兆」のおかげでこんな恥ずかしい間違いをする日本人は絶滅したことでしょう。

船場はいまも地名が残ってるとこもいいですね。もともと屋号などに使っていて地名に誇りがあるんでしょうか。東京はなぜか町の名前をどんどん変えてしまいます。意味があるとは思えないんですがね。そういや、「東京」って名前自体も新しいのか。

ところで私は北海道の出身なんですが、ここはあちこちから寄せ集めの入植地なので特定の方言がないんですよね。東北の人が多かったようですが、「広島」のつく地名があるように西から来た人もいたようですし。うちの親のルーツは新潟と魚津だし。

だから「おくにことば」がある人ってちょっとうらやますぃなあと思ったりします。

>鶴子さんは東京転勤て聞いた瞬間、目の前真っ暗にならはる

西の人から見ると東京は文化果つるところですもんね~(^^ヾ
Commented by kiyotayoki at 2008-03-01 10:25
acoyoさん、疑問を解消していただきありがとうございます♪
あ、記事内リンクも恐縮です(^^;。
実は、小説は未読だったせいもあって、オープニングの京都の花見と登場人物たちのお喋りを聞いて、「あ、これは京都の人たちのお話なんだな」と思ってしまったのです。京都弁っぽかったので。
ところが、見ていくうちに、「あれ、これって大阪のお話?」ってなっちゃった。で、ああ、関西弁って難しいなぁと思ったんですが、なるほど船場言葉は京都弁の影響を強く受けていたんですね♪
地域によって、階級によって、職業によって、性別によっても変わってくる方言、面白いですねぇ。

単なるイメージなんですが、新珠三千代さんって船場言葉が似合う女優さんだと思うんですが、acoyoさんはどう思われます?


Commented at 2008-03-02 03:45
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by umaco at 2008-03-02 10:41
訛り丸出しのコメント考えてて想い出したんですけども
ウチのオヤジ 高校出てすぐ船場で奉公してたって言いよったなぁ・・と
まぁ2年くらいで音ぇ上げたみたいやから 
船場言葉なんて身に付くわけもあらへんのですけどw
せやけども私の話し言葉は奈良弁と 言い回とかテンポやとかが
なんやちょっと違うみたいで 変わってるぅ言われましたわ
父方が戦前に天王寺で商いしてたせぇなんかもしれへんなぁ
Commented by nonkey37 at 2008-03-02 17:05 x
そういえばうちの父は戎橋筋の精華小学校に通っていたので、今でも前を通りかかると妙に自慢げに話をしてきます。それは船場界隈のこどもが通っている学校だったからだったんだな!とあこさんのエントリで気付きました。
「自分の通ってた学校のどこがそんなに自慢やねん?」とずっと思っていましたから(汗)
戦争が始まってから泉州に家を建てた祖父でしたが、ずっと船場で奉公していたのでそれまではあっちで住んでいたんですよね。そのせいか私も幼い頃はしょっちゅう天王寺やミナミに出かける祖父のお供をしたものです。
祖父が足繁く出かけていたのは「格落ち」はしたけれど自分のルーツは違うという自負心ゆえだったのかも。
関東に住んでいると大阪弁も関西弁も全部同じと見られがちなのと同様に、大阪に住む親戚からすると神奈川に住んでいようが埼玉に住んでいようが常に「東京に居てるんやてねえ」と言われる私(爆)
Commented by rabbitfootmh at 2008-04-15 12:56
ついつい、全部読んでしまいました>^_^<
若い頃、謡をかじった時に、社中に船場出身の「昔のお嬢さん」がいらっしゃいました。
両親・親類縁者は皆大阪人で、自分自身の生れも育ちも大阪でありながら、「無国籍関西弁?」しか知らない私ですが、母が元気なうちに、泉州の方言を習っておいたら、ちょっとはネタにできるでしょうかね。