というのは、小林秀雄の本のタイトルではなかったか。んで、ネタはそういうこととはまるで関係ない。

その1.けっこう有名だと思う。
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 大阪は梅田、天満交差点にある靴屋。右側でちょっと見づらいかと思うが、「格差社会を是正せよ 身長格差は当店に」というキャッチもまた、テイスティじゃないかい。
 シーゴラスや他の連れとも遠い記憶を遡ってみたが、少なくとも、四半世紀以上前から、ここは「閉店します宣言」をやってる。つか、誰もここの店の名前を知らず、「もうあかんの店」とか「やめますの店」と呼んでた。
 
 まあ、うちらの界隈でも「閉店売り尽くし」標榜して何年も存続してる店つうのは珍しかないんで、そのこと自体には驚かない(それもまた関西独特の傾向なのかな?)。
 しかし、ここの場合は歳月の重みが違うのだね。四半世紀だよ。昭和から平成への長い長い歳月の間、途切れる事無く閉店宣言を掲げ続けてるのだよ。こうなるとさすがに、強者というか、磨き抜かれた逸品というか、そういった感慨に襲われる。
 それにさあ、遙か昔、私が最初にこの店を見た時から既に、この「終わったな」風情が満載だったのだわ。その同じ香ばしさを四半世紀キープするというのもまた、並の苦労ではないであろう。まさに、継続は力。
 んで、私はあいにく、この店が営業してるとこを見たことがないんだが、シーゴラスに言わせると、「ごく普通にというか、淡々とお商売しておられるよ」

その2
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2007.1.28撮影 Richo Caplio-GX

 ↑自分で撮っておいて何だが、むちゃくちゃベタだよな、どうかと思う(笑)。
 んで、今回のエントリで上げた写真はみんな二年前の冬に撮ったもの。とっくにフォトショ使ってリタッチや加工済ませてたのに、ずーっと上げなかった。それってのも、実は天王寺については書きにくかったから。前回もあれで結構苦労して書いたのよ。
 まして、新世界についてはもっと書きにくい。
 
 なんで天王寺界隈が書きづらいかと言えば、私が何度も言うように兵庫県民&阪急沿線住民で、「大阪」という場所を長年「キタ(梅田)」限定でしか知らなかったんだよね。天王寺なんてぶっちゃけ魔境です。親が連れてきたがるとこじゃなかった。
 結果、「近くて遠い」場所だったりするわけだ。だから、ネイティヴ相手には、すいません、私、田舎者のツーリストですと腰低く語るわけ。
 けどさ、これが非関西人相手となると、わたくしは、そんな内部的地域対立性には口をぬぐい、いけしゃあしゃあと「関西圏」に大同団結する。で、図に乗って、関西文化圏の中である位置を占める天王寺という存在を、「うちのねき(近所)」みたく語りかねんのさ(笑)。そういう風に都合によって、勝手に「遠くて近い」にしちゃうのね。そのあたり、自分で混乱しとるとこがあるのよ。

と、やっとこさ新世界の話。
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2009.7.18撮影 Pentax K10d クリックしてもらうと、少しは大きな画像が開きます。 

天王寺公園(wiki)
天王寺公園(大阪の花と緑総合情報サイト)

 いや、毎度思うのよ、駅前に立つたびに。公園入り口前のあの独特の「人だかり」もそうだけど。やっぱあのラヴホの看板な。あの張りぼての天守閣が、駅前の景観の中に放つ存在感
 退いてほしくないんだろうか、行政は。
 まあ、絶対に外してくれないとは思うけどさ。でも、一応、ここって大阪の顔の一つ、大阪のメインターミナルの駅前なのよね。だからこそ、天王寺公園を有料化し、夜間には鍵までかけてうろんな輩追い出したんだしさ(やる方も凄いが、ここまでしないとというあたりもまた凄い)。大阪市としてはちょっとでもあのあたりをクリーンにしたいでしょうに、あれ、退けてくれんかなあ、と思うておらんのかな。だって、いかにあの公園を平和な小市民向けに再整備しようと、あの看板いっちょでぶちこわしという気も。
 だが、平松市長にせよ橋下知事にせよ、どっちも関西圏で育った人、何を言うかは想像がつく。

せやて、しゃあないやん退いてもらうには銭かかるやん)」
 あるいは、
別にええんちゃうん看板だけやったら実害があるわけやなし)」

 てなとこでしょうな。で、私はそういう考え方が好きである。

ツヅク
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 これが戦前の堺筋、のジオラマ。
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住まいのミュージアム・大阪くらしの今昔館(公式サイト)

 実は行ったのは去年だす(藁)。
 当時はいずれ引っ越す予定で、その下見もあって大阪をうろうろしておったのに……不況が憎い。私からアーバン&犬飼える生活の夢を奪ったサブプライムローンが憎い。
 天神橋筋六丁目駅を降りてすぐだけど、商店街の入り口にある「大阪住まいの情報センター」のビルの8F、9Fということで、わかりにくいかもしんない。

 wikiによれば、ここは「住まい」をテーマとした日本初の専門博物館だそうで、
 高度な学術性を踏まえ、市民の目線に立って歴史を読み解き、見せる展示を超えた「体感する」展示を目的とし、「住まいと暮らし」の情報交流拠点としての集客型ミュージアムを基本理念としている。
 とまあご立派だが、実際はかなり小さい構えなんで、気負って行くとこじゃない。

 売りは8F丸々使った「天保元年の大阪の町並み(そごうが創業した年だ)のセット」と、9Fのジオラマで、いっちゃなんだけど、それきりだし(藁)。
 

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■大村益次郎 wiki
■『花神』(司馬遼太郎)

 最後に出かけたのっていつだっけよ……と自問すると自動的に遠い目にならざるを得ないほど、今のわたくしはおうちにずっと居るのだけれど。それでも正月にはお能なんか観に行ったんだよ。
 マミーとシーゴラスの三人でさ。んで、早くに着きすぎたんで、その大槻能楽堂がある上町あたりをうろうろ散歩してた。そいたら、交差点側にこんなでっかいもんが。

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 「兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑」……大村益次郎卿といえばあの村田蔵六。あの司馬遼太郎の『花神』の火吹きダルマではないのっ!

 でも、ちょっと待てと腕組み、「殉難報國之碑」って、蔵六さんは、大村益次郎は京都三条木屋町で刺客に襲われたんだよな?と考え、おお、そうか、その後、大阪運ばれて大阪仮病院で手術受けて、それから死んだんだよ、じゃ、それがここ? ……あり? その大阪仮病院って今の阪大医学部じゃねがっだ?……わがんね。ともかくこの界隈でお亡くなりになられたということで手を打とうと。  
*その辺の事情Yahoo質問箱

 ま、ともかく、碑文の建立は昭和15年11月。まずは、ずらりと並んだ発起人・賛助者の名の豪華さに驚く。

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