敬愛する金正日同志におかれては親しくご指導くださった悪口
あの国のニュースアナのオーバーアクトな口調つうか、「悲憤慷慨」調ってのは毎度笑える。人間、無闇に力瘤を入れると単に笑えるものになるという好見本だと思う(それはこないだ「利家とまつ」の再放送の反町の芝居見てても思った)。
ほんでその、朝鮮中央通信社KCNAの定型文なんだが、
「燃える憎悪」……飛ばしてる。
「米帝国主義の鬼」
「階級主義の敵たち」
「人間の皮をかぶった野獣たちであり、朝鮮国家が同じ空に生きることはとうてい不可能である慢性的な敵」
「悪の枢軸国」でぶちかましたブッシュだが、その母胎キリスト教ファンダメンタリスト右派の罵倒タームの最高はせいぜいが「悪魔」だろうし、ふかしとしちゃ、ちょっと負け気味だよなあ。
ま、笑うのが一番正しい反応だよな、こーゆーの。「一期は夢ぞ、ただ狂へ」つうのが私の信条だから、そりゃあ笑かしてもらうぜ。
でもな。
けどさ、単にバカ笑いしてるだけってのも、なんかなあ。いや「単なる笑かし」ってカテゴリー作ってそれに入れといて言うのもなんだが(藁)。
このサイトの管理人は戦略的にやってるわけで、それはいいんだけど、それ見て心の底の底から面白がってただただ笑ってるってのもな。バカにしたつもりの自分がバカだよって気もする。
以前、ポーランドの映画監督が撮った●「金日成のパレード」*1という映画があって、最初はそれこそ転げ回って笑ってたんだけど、段々その笑いが引きつってくるんだよな。
背筋が薄ら寒~くなってくる。それはあの国の「狂気」に対する恐怖じゃない。
これを同じものを、日本人もどっかに持ってるってことだった。これと同じことを、日本人もかってやったってことだった。
(も一つ、今の日本のTVのスポーツの世界大会でアナウンサーが連発する愛国的絶叫や、大きなニュースの時のキャスターの「憂いと怒り」ポーズ+おどろおどろなBGM、そんな日本のメディア状況で、最初に書いたあの北朝鮮のニュースアナの悲憤慷慨をとことん笑えるのかとかね。何せ東アジアの下の方の民族ってのは概して「情緒」に弱いから)
日本人だけじゃない、国家全体で一つ方向に突っ走る→狂うことは、今までもあったし、これからだって、いつでもどこでも何度でもありうることだもんな。
要するに喜劇はいつも悲劇と仲良しさん。つうか、喜劇の本質ってのは内出血の悲劇なんだって別役実が言ってたっけ。
ま、単に私としちゃ、その笑いの底の苦々しさを失ったら、その笑いにストレートな蔑みがこもっちまったら、自分もまた、どこかでキーが狂ったら平気で、よく知りもしない相手のことを「人間の皮をかぶった野獣たち」と言っちまうんだろうな、それ、気をつけなきゃなと思いましたです。
ちょっと資料的には古いけど参考図書
■『退屈な迷宮』(関川夏央)新潮文庫
*1 このドキュメンタリー映画はいい映画だす。んで、この映画のいいとこは、キネ旬DBにあるように「主観を交えない即物的な撮影でとらえ、観客に社会主義、全体主義についての自由なイメージを喚起させた」とこだと思います。
ナチスも国民の熱狂的支持をもって迎えられたし。
けれどacoさんの指摘はよく解る。
実は今日、「博士の異常な愛情」を観ていたんだけれど狂気と正常の間というのはそれほどに隔たりがないんだなと。
客体で観ることは難しいけれどちょっと引いて思考する。
そういう作業が大事なんだなあと。
ここから導き出された答え:「金正日は親戚のおっさんレベル」
誠に同感です。
殊に“会社組織”というもののなかにそれが見えている、と思います。
たとえば朝の朝礼で社訓を声高に斉唱したり、創業者の写真を掲げて、それに頭下げさせたり、ヘンな社則で社員を縛ったり、と、あの国の映像のパロディ? と思えることを今も行っているわけなので。
とにかく「他人を支配したい、上に立ちたい」という欲望を持つ人々には、あの将軍様は羨ましくさえ映るのでは? と思っています。
ところで、北と南のアナウンサーの喋りを比べるとブッたまげますな。政治が違うとここまで言葉の雰囲気が変わるものかと。
精神医学的には別でしょうが、社会学的には確かに、狂気と正気は紙一重だと思います。だもんで、「野次馬の分」というのだなあと私も思うわけです。
★yalingさん
その痛みと痒みの譬え、すごくよくわかりますねえ。
しかし、金正日とあのお国にというのは、確かに、「親戚のおっさんがいてもうた」的狂気で、どう転んでもナチの美学にならない(藁)。なのに……てあたりが、実は底知れず怖いのかもしれないなあ。
★夏葉さん
全体主義、というのは入ってしまえば心地いいと思うんです。考える必要がないし、一体感というのはとんでもなく魅力がありますしね。だからこそ、むしろ頭から拒否してると、思わぬところで足すくわれるので、それこそ「引いて」見ておかないと怖いってな風に思います。
いえいえ、「頭痛が痛い」は私もよくやります。お気になさらず。
ナショナリズムとペイトリオットは確かに必ず必要ですが、舵取りがホントに難しい。つうか、何を誇り何を恥じるかが問題で、私は「人の皮を被った獣」と他者を規定する事の方を、国として恥ずかしいなあと思いますぜ。
いやあ、それがねえ、反共華やかなりし頃のあちらの方でも、やや似たニュアンスの喋りしてたのよお、こないだドキュメントで見たら。指導者っつうより、国民のテンションの問題かなあ?
★jaguarmen99さん
人間、実んとこ、素直に欲望を発散してるより、「今、自分が正しい、己を無にして正しいことをしている」って快感の方がすごいんじゃないかなあ、気をつけよ~と0最近思うんですよ。「私はキヨラカ」も同様かな(亜種として「キヨラカになりたい!」的魂の叫びもあり)。
あ、説教臭かったらゴメンナサイ。そんな気はないんですよ。
ただ私自身が好き嫌いが激しく、嫌いなものを全否定する傾向があり、それで返ってツボ踏むことが、違うとこでころっと騙されちゃあ、後で地団駄踏むことが多々あるもんで、自戒の言葉です。だからこそ、tonboriさんが言う「引いて見る」っていうのを心がけてるんですがねえ。なかなかいつもそうはできませぬ。
つうことで、こっちこそ、よろしくお願いします。えらそうだったら怒ってください。
とんでもないことでございます。お説教された、なんて思ってもおりませんです!! ほんとーです。
私が一つの角度でしか物事を見ていないところを、姐さまにいつも違う角度での見方を教わっている、というつもりだったのですっ。
すいません、私の書き方が悪いばかりに……。うう、平身低頭です。