『ネガドン』は悪かない。でも、そう騒ぐほどのもんでもない、と思う。
●ネガドン、マジ観たい。(web-tonbori堂)
●ハイパー・アマチュアの時代(たけくまメモ)
●惑星大怪獣ネガドン(エンジェル・ハイ・ロゥのキールーム)
立て続けにtonboriさんからのTBです。ネタ倉の神様として拝もうかと思います。
はい、世間のごく一部を騒然とさせている「ネガドン」。みなさん、熱いです。私も気負って見ました、先週、ケーブルで。(umacoさんに「SIN CITY」は任せろと胸叩いておいて、上げるのは結局、こういうエントリ……)。
ええ、ウェルメイドでした。がんばってました。とても生真面目に学習してました。んだけどね、
ふうううーーーん。文化祭のヒットって感じぃ。
いって予約特典ミニDVDつうか……だもんで、キターーーー!!!もなく、熱くもなれず。「だって、自主製作だよ!」と言われたって、「だから どしたの?」(藁)
インディだろが20世紀フォックスだろが、この作者にプロ志向があろがなかろが、パブリックに出しちまった以上は「アマだし、遊びだし」って言い逃れはきかない。それ相応の批評をするのが礼儀と思いますです。甲子園的感動と作品の評価とは関係ないんじゃないのか。
「自主製作だから」「アマだから」って底上げ評価する方が、これだけのモノ作った人に失礼だと思うの。実際、「技術」はあるよ、この作者。
↓ツヅク(ネタバレはなしです)
1.オマージュってことにすりゃつまんねえストーリーでもいいのか?
オマージュhommage=「尊敬」こめて作るなら、それ相応の脚本を書いて欲しいなあ。30分ってのは立派な「短編映画」の尺で、そんだけあれば十分にオリジナル性は出せる。ほんで、オマージュにオリジナリティがあっちゃいけないって法則はないんだよと。
2.「CGでこれだけ質感やスケール感が表現できるとは!」的興奮について
「メタルギア」や「バイオ」「Gジェネ」など、キラータイトルのゲームのムービー観てれば、CGでもこれだけの質感やスケール感が表現できるのは十分わかっとるが、何か。(色目はがんばってるかな、確かに)
そこで「アマチュアがこれだけ」云々は激闘甲子園の解説ですがな。大体、CGって、ただの技術でしょ。フィルムの価値に貢献はしても、それで価値が決まるもんじゃない。あたしゃILMやピクサーのスカウトマンじゃないもん。単に映画が好きなだけだもん。
3.これは「古き良き特撮映画」か?
全体に、あれは「怪獣映画」ではなく、その「怪獣映画」に深い影響を受けた押井守、庵野秀明、樋口真嗣の強い影響を受けたフィルムだと思う。
つまり、怪獣映画の直接の影は薄く、それを一旦消化して自分のスタイルにした連中の影の方が圧倒的に濃い。全カット、「あ、これ押井」「庵野じゃん」「あ、樋口」、確かにその点でとてもよく学習してる(爆藁)。いえ、パクリじゃないのよ。ほり、オマージュ、ですからね。
要するに新味はない。クリーチャーデザインしかり、メカデザインしかり、この作者はその影響を自分なりに消化できてない。つまり、まだスタイルを持っていない。それってのは「誰かがとうに撮ったようなカット」を自分の絵に見せる技術で、それには何よりかにより、まずはホンでしょう。
自主製作でもメジャー配給でも、アニメでも特撮でもフツーのドラマでも、ホンが書けない読めない人は、監督としちゃダメよん。まあ、今の邦画にはそういうヒトが多いんだけど(涙)。
4.んで、中年オタクはホントに「こんな映画が観たかった」のか?
だから、こんな映画なら、平成ガメラが既にある。怪獣映画のアクションを今の技術と感覚で蘇らせたっつうなら、アニメにおける現時点でのデフォである「エヴァンゲリオン」がある。実相寺カットを自家薬籠中のものにして、自分のスタイルにしちったというなら押井だろう。(ま、押井は「実相寺実相寺ってねえ、、これはゴダールなの!」と言うかな。今でも覚えてるが、あたしゃ中学の頃、ゴダールのなんか観て、「あっ、ウルトラマンで見たあ、これ!」と叫んだことがあるもん。実際、実相寺ってのはヌーベルバーグの手法を特撮に取り入れて当てたわけだし)
んで、私としちゃあ「こういう映画ならもう観た。もっとクォリティ高いので」としか言えないのさ。
一緒に観た同居人、小学校サボって名画座に通ってた往年の怪獣博士(兼サッカー小僧)曰く、「まず黄金期の怪獣映画の『ほがらかさ』が無い。これは致命的だな。オマージュってのなら、あの暗さはむしろ、80~90年代初頭のOVAのそれだよ。まあ、ホント真面目なフィルムだけど、弾けなかったね」
この「ほがらか」(最近、同居人が愛好するターム)な部分、ピアノ線は見えてるわ、飛行機は煙吹いて飛んでくるわ、怪獣の造形はマヌケだわ、お話はご都合主義だわ、でも、撮る側の熱気のようなものが、話をぐいぐい引っ張っていって弾けさせた、あの「よき時代の堂々たるほがらかさ」。
私が今の技術と感覚で再現して欲しいのは、実はそれだったりする。いえ、昨今の勘違いリアル志向のどん詰まりを見るにつけてもさ。
ってな風に、実際、私自身もかなり年季の入った特撮ファンだし。でなくて、なんであんなに埋め立て地と押井と今川にバカみたいにこだわるものか(爆藁)。
だからこそ、この作品もきちんと評価しようと思って観たわけで、その点、正直なとこ、「ネガドン」は確かによくできている。レンタル屋で借りるもよし、上映があるなら「お祭り」として行く分にはいいだろう。これに触発されて、「よし、僕も私も!」とCGソフト買い込んで5ヶ年計画で挑むなら、すっげえステキ。
でも、それだけだと思う。残念ながら、新しい才能に出会った感激は無かった。まだ見ぬ何かの予感というものもなく、「キミは根気があってえらいニ。CGうまいニ。最近のシトはホント、器用だニ」ってとこ。
そいで、「俺たちは特撮の話をしてるんだよ、アニメの話じゃない」ってのなら、私はずーっと、アニメファンや特撮ファンが、なんで「アニメ」や「特撮」というそれぞれのフィールド内でだけ作品を評価しようとするのか、自閉しようとするのか不思議だった。大体、今の怪獣映画が軒並みしょうもないのも、その影響を受けたロボット・アニメの方が面白いのも動かしがたい事実だろうが。そっからの逆輸入形式で樋口が出て来たんだろうが。
某出版社の編集さんが言ってた。
「最近の作品というのは、ツボをどれだけ踏んでるかで評価される。全体の骨格やストーリー性で評価するだけの力が読む側にないんだから、仕方ないっちゃ仕方ないけどさ」
丹念なツボ踏みは、ファンにとっては心地いいもんだ。それを身内でローカルルール・ポリシーに基づいて批評するのはとっても楽しい。大好きよん。自閉しておらばこそ、痒いところに手が届く。
んだけれど、いつもどっかで、私は映画を観てるんで、按摩にかかっておるわけじゃないってことは弁えておきたい。そこばかり評価しておっては、何より自分のモノを見る目が育たんし。
繰り返すが、この「酷評と呼ばれるかも」なエントリは、「ネガドン」の作者へのリスペクトとして書いた。それ相応の力量がなければ、スルーしたよ。
だって、私は、それでもこの作者が、この「オマージュ」と銘打った生真面目な学習を卒業できた時、ツボ踏み按摩以外の技術を磨けばどうなるか、というのにちょっとだけ期待してるのだから。
* 書いてから思ったのだが、このどっか「ふうーーーーん」な感覚は、私がとても信用してるアニメサイトの人が、「トップをねらえ」の批評で、「これだけの作品が作れるのに、何故、『パロディ』として逃げたのか。堂々と自分の作品として問おうとしなかったのか。そこに庵野という監督の不誠実さを感じる」と書いてらした、その感じに近いかもしんない。
[監督 / 脚本 / 原作]粟津順 [音楽 / 音響効果]寺沢新吾 [声]清水大 / 笹原琢磨 / 湯本あかね / 貴志昌文 一部で話題の自主制作特撮 CG 映... more
もうコレに関してはコレしかない。 『一人で作った!』 実際には中の人の声とか音楽とかで協力している人がいるけどまあCG関係は一人でやったと。 つまり画面の中のモノはすべて粟津氏自身が手がけた。 おいらはCGに関しては素人(製作に関してだけど)ともかくよく創ったなとは思う。 一人でシコシコと机にむかってマウスを動かし 「このシーンかっくいーぜ!」とか「おおこのシーンしびれるぜえ!」といったかどうかはしらないがまあ独力で作りあげた。 でもまあパイロット版としての『マガラ』(これは未見、ネガド...... more
そう、感想にしかならなかったのだ。
acoyoさんのおっしゃる「ふぅーん」という感触が近い。
なんだろうな、この感触は?と考えていたら、思い当たった。
これは「等身大萌え系人形」を見た時と同じ感触だった。
人間と同じ尺で、顔と体は萌え心をくすぐり、関節も自在に曲がり、
着せ替えも出来るが、決して「本物」ではない人形。
と言うと、「アンドロイド萌え」な方に猛烈な批判を喰らいそうであるが。
なんていいながら、予告篇見てみたら結構楽しそうだわ…ウフフ。見なきゃだわ。
もうご覧でしたかあ。守備範囲広いなあ、spider_edgeさん。
「閉じている」というのは私も感じました。そう一言言えば済むことを長々と、アホか、私は(藁)。
「閉じてる」のは確かに心地いいんですよ、馴染んだ服みたいで。でも、弾けないの。そこから何も始まらないの。私が観たいのは多少の失敗はあっても新しいモノなんです。そこんとこが、yalingさんのコメントにからむと思います。だからツヅク
いえ、師匠の褒め殺し比べれば、わたくしの辛辣さなぞまだまだ(藁)。
>日本のクリエイターってのはどうもこじんまりと自分の枠の中に納まろうとする
これは常々どうもなあって感じで、、また観る側も負けずにそうなんですよね。「ゴジラ」ってタイトルついた段階でとても目が優しくなっているという。
「ネガドン」、是非ご覧になってください。マジな話、楽しめると思います。ただ、そこで私のようなへそ曲がりにはspider_edgeさんが書かれた「閉じている」って呪文が響く(藁)。だったらいっそ、「閉じてる」ことにも過剰に開き直ってくれよと。そうしたら返って、その空間は開くのになあと。私は、押井前後の世代のアニメ作家にその「オタクの何が悪い」という開き直りを感じたし、だから、弾けたと思うんです。その点で、「ネガドン」は真面目すぎ(藁)。
とは言いつつ、特撮映画もアニメ映画も、どんなにいいものでも一部の観客しか観てくれない。この構造が悪循環だってのもわかってるんですけどね。
そのあと、acoyoさんの批評を読んで「うーむ」。
《何よりかにより、まずはホンでしょう》
これは日本映画を見るとき、いつもボクも頭に浮かぶフレーズなんですよね(-_-;)。
とりあえず観ないとまあ始まらないかなと(^^;
ただ言いたいところの焦点はよく解るし結局画の凄さだけがここ10年先行したっちゅうところなんだよねえと。
だって映画としてはホゲの「戦国自衛隊1549」だって戦闘ヘリのシークェンスはすげえ燃えたし(但し予告編(笑))
まあ焦って買うのはやめときます、焦るとろくなことないし。
ほら、言うでしょ「慌てる坊主は貰いが少ない」って(爆笑)
え?真剣に作品で勝負してるの?事業ベースに乗せるの?そいつは話が違うかも。とりあえず観てみようっと(^^;)
予告編を観る限り「よくできたフリーウェア」って感じだけど。
★samurai-kyousukeさん
「ガバドン」はもう、ほがらかの最たるもんですから(爆藁)。私もマヌケな着ぐるみ系が好きです。つか、着ぐるみの怪獣にはCGには出せない何かがあると思うんですよ、マジな話。
★PiuLentoさん
はい、その通りです。言いたかったことの柱の一つです。読み取ってくれてありがとうございます。この作品を見て、私は「CGよくがんばったね。えらいね」としか言えず、それは全然作品の評価としては意味がないと思ったので。
★kiyotayokiさん
私も予告編観て期待しちまった口なんで(藁)。別に内容的に悪くはないんです。ただ、私はあくまでも「作品」として評価したかったってとこで。ホンの問題は、ほんと、今の邦画の最大の課題でしょうね。ですが、ここで書いたように、それは受け手側の問題でもあると思います。ローカルルールによるお約束の厳守さえできていれば、映画の出来なんか見ないってヒトも結構多いですから。
その通り、「ネガドン」はそういったローカルルールでの評価ポイントは高いと思います。ただ、「作品」である限り、その戦車が全体の中でどう有機的に働いてるかが問題なわけで、それは捨てコマだろうが決めコマだろうが同じだと思います。全体で見る限り、そういったツボはくすぐりに過ぎないわけで、でなかったら自衛隊のビデオでも撮れよって話になりますから。
なお、「アニメでも見たことがない」ということですが、あの戦車のカットは宮崎の初期作品の中の場面で見た覚えがある、とのことで、画格も同じだというのが同居人の話でした。また、最近のゲーム中ムービーでは、そういう超こだわりの捨てコマはよく見ます。
★tonboriさん
例えば、tonboriさんは、「戦国自衛隊」を映画としてははっきりボケと書かれてますよね。そして、それをご自分で評として出される際には、ヘリのシークエンスの件は最後の方で数行触れるか、余談として熱く語られるかだと思います。「ネガドン」自体の評価は各人の好みですが、褒めてるヒトがみんな、本来ならその「数行分」の余談的部分のことだけ書いて絶賛してる。それが変なのって感じがするんですよ、へそ曲がりだから(藁)。
痛いとこつきますねえ(藁)。壮大かどうかは否かとして、実際は作った動機も「遊び」でしょうし、エントリでも書きましたがそういった祭りとしては成功したと思います。だから、ヒトの楽しみに水を差すのかと怒られたら素直にゴメンナサイと言います(藁)。
ですが、その祭りで「遊びに大拍手」ってより、2.~4のサブタイトルにしたような言葉での絶賛が多く、「新しい可能性」とまで言われると、それはねえだろ、と。そいで、エントリに書いた通り、どういう状況で世に出したのか、作者が今後どう進む気かとかは一切見ずに、作品だけ見て評価して書こうと決めました。受け手が作り手の台所や思惑を斟酌して評価するのもどっか不誠実かな、という気がしたものですから。
各所マニア筋で絶賛されている作品だったので、期待してわざわざ池袋まで見にいったのですが(スカパーの契約chで見れるのに)
確かに独りでよく頑張った。しかし……イマイチだな。とスカされた感というんでしょうか?そんな感じが、この違和感は何?とモヤモヤしていたのですが
>その「怪獣映画」に深い影響を受けた押井守、庵野秀明、樋口真嗣の強い影響を受けたフィルムだと思う。
ああ、なるほど。その通り、そうだそうだ……と。上記のオーマージュ縮小再生産スタイルを更にオマージュしている。
オマージュ>オマージュだからヌルくなっているのかな?と。ネガドンを見てもネガドンの監督が伝えたいなにか?が全然響いて来なかった。確かに新しい才能の発見ではないと思えました。
映画を見た者としてacoyoさんの記事に8割方同意です。
はじめまして。盛り上がってる人や、これから見ようと盛り上がってる人に水差して悪いかなあと思ってたところなので、実際にご覧になった人から感想が一番、有り難いです。
努力は十分に認めるし、技術力も認めるけれどの「ふううん」と「スカされた」と「閉じてる」(↑spider_edgeさん)というのは、どこか重なってるなあと思います。やっぱり、特撮がほんとに好きだから、私はこれで浮かれたくない、浮かれられない、というのが正直な気持ちでした。
それで、そちらの記事を読ませていただいて、ボリューム増えすぎになるんで落とした、同居人が引用した部分の後に言った詳細な意見とほぼ同じなのにびっくりしました。人物造形が下手だから云々のとこです。だもので、記事内リンク&TBいただきます。ありがとうございました。
かと言って、全否定している訳でもなく……逆にネガドンを手放しで絶賛してしまうと、この監督が駄目になってしまう。そんなお節介な気分も。
acoyoさんの記事を単なるアンチの意見だと捉えるのではなく、作品と真剣に向き合っているからこそ出た回答だと思って欲しい。ネガドンが好きな人にもそれはわかって欲しいと思います。
で一般論として、非常に頷ける話だと思いますな。あこさんがそれ相応の批評をするのが礼儀だと書いているのも、それなりの評価をしているからでしょうしね。
「パブリックに出しちまった以上は(略)言い逃れはきかない。」というのは、特にこの時代にはすごく重要に思うのですよ。十把一絡げのネット上の曲とか付き合いで聴きますが、いろいろ思うことが多いです。blogなんかもそうですよね。世界中誰もが見ることが出来るという大前提自体がすっぽりと抜けている人が結構いますな(苦笑)。アイタタタと思いますけど。
あと、「まずはホンでしょう。」←これ、すごーーーく賛同です。ホンがだめでもそれを補うサムシングがあれば、それなりに面白くもなりますが、最初からそれを期待しちゃまったくあかんでしょうし(苦笑)。で、私はB級香港映画に昔の日本映画が持っていた「ほがらかさ」を見ています(笑)。
>逆にネガドンを手放しで絶賛してしまうと、この監督が駄目になってしまう。そんなお節介な気分も。
わかります。そういうお節介な気分もあるんです。少なくとも30分、まとめあげた、人前に出せるだけのものとして完結させたって点で、この人は最初のハードルを楽々クリアしてるわけですから。それは実はすごく難しいことなんですよ。
★santapapaさん
熱の入ったコメントありがとうございます。是非、ご覧になってください。正直、特撮系だけでなくいろんな映画を見てきた人の意見がもっと伺いたんですよ、私は。
>世界中誰もが見ることが出来るという大前提自体
ブログは私的なものか否かという論争がありますが、私は別に日記でも愚痴たれ場でもオタク炸裂でもいいと思いますが、そのsantapapaさんが書かれたことが意識のどっかにあるかか否かではないかと。出した以上突っ込まれる可能性はあるってことで(藁)。
>B級香港映画に昔の日本映画が持っていた「ほがらかさ」を見ています
これは本当にそうですね。私はそれを「スターシステム」が生きていることじゃないかなあと考えてますが、定評あるアクション以上に、あれだけしょうもないラブコメでもドタバタでも見せてしまう腕はただ者じゃない(藁)。