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プレイすることの自由と責任 創ることの自由と責任 (『ワンダと巨像』#3)


闘う知事会、一致してゲーム販売の自主規制徹底を要請(例の神奈川県知事のblogです)

 ということで、ゲーム規制で騒いでた県知事がたが「業界団体の自主規制に優位性を持たせた」(せんだって日記さん)あたりは一歩前進かなあと、まあ、果てしなく小さい一歩だけど(藁)。相変わらず、この人たちは何もわかってないのだろうしね(現状への圧倒的な勉強不足をどうする気さ)。石原さんも吠えてるし(まあ、今のゲーム業界全体に関する無知はともかく、吠えてる言い口はましな方。痩せても枯れてもモノの作り手だった過去があるからだろう)

 そんで、既に記事内リンクしたせんだって日記さんからのTBなんですが、

『ワンダと巨像』【残虐表現篇】

 この方の「ワンダ~」絡みのエントリは、前記事でもトラックバックしておりますが、このエントリだけ別枠にしたのは、これを一人でも多くの人に読んでもらいたいから
 私が自身がうじゃくじゃ書き足す必要もない。また、これは『ワンダと巨像』についてだけのエントリでもないの。このエントリには私がゲームについて、ゲーム有害規制について書いてきたこと(→●有害というモノの言い方)や、それだけではなく映画でもアニメでも小説でも、創作品全般における様々な暴力描写、残酷描写につきまとう、受ける側、創る側それぞれの「自由と責任」について書いてある。『ワンダと巨像』という一作品の評価を通じて、その具体例が書かれてるのさ

もいっちょ→●どうして目線はいつも下なのか。(隅っこの蜘蛛)

↓ツヅク
 



 ただ、ざっと読みで勘違いして欲しくないのは、せんだって日記さんは「そういうゲームだから」子供にさせるなとは全然言ってないわけで、そう言うゲームだからこそ、あえて子供にさせろと言ってはるわけで。あ、これって言わずもが。(藁)。

 問題は暴力・残虐問題を問う時にアイタタなのは、すぐみんな、娯楽としての暴力・残虐描写とそうでない暴力・残虐描写をごっちゃに考えることなんだよね。娯楽としてのもんなら、お子様には見せるなと私も思うさ。まだ判断力に乏しく、乏しいくせに想像力の持ち合わせだけはある子供なんてイキモノに、過激なエンターティメントは不要と思うぞ。成長のお楽しみが減るでな。

 そうではなくて、せんだって日記さんが書いているのは、生きていくことに必ずつきまとう「暴力」、世界を描く上で避けがたい「残虐」のことなんですわ。

 んで、それについて考えさせる力が、「ワンダと巨像」という作品にはあるの。あのゲームは、この何十年、業界があれやこれややって来たことの最良の結果の一つだと思う。
 私が金持ちだったら、これ、この弱小ブログ見てくれる人全員にPS2添えてお贈りしたいくらいだわよ。ついでに、全国の小中学校にも学習素材として寄付したいぞ(勿論、先生ちゃんとついて子供がやってるの見ててねと断り書きをつけるけどさ)。

 んだから、私はこの業界指定「12歳以上推奨(CERO12)」のゲームを、自分に小学生の子供が居れば、一緒にやりたいなあと思います。いろんなこと話しながらやりたいなあ、やらせたいなあ、くそー、子供居ないって寂しいなあと。
 当然、子供の居る連れが「どんなもんだろ?」と訊いたら、やらせなさい、ただし、あんたも一緒にねと答えます。勿論、もっと小さくたって「自分できちんとゲームしてる親御さん」の判断ならまったくOKだし、あるいは、うちの子は、親のサポートがあってもまだその「自由と責任」を享受できないと見なすなら、やらせないのも立派な親御さんの判断です。

 ただ、あらゆる子供にはいずれ、その「自由と責任」を行使しなければならない時がくる。大人が必死に頭絞って考えるべきなのは、その時に供えて何をどう子供に教えるかだと思っています。それが大人の義務であると思っています。


 ……つうことで、さあ、今日もお仕事お仕事。それが一向にはかどらねえんだよお。どうしてくれよう。こういう時に鍵ってね、ブログ・ネタってのががんがん浮かぶのは何故。逃避ね。逃避。
by acoyo | 2005-11-22 16:30 | ゲーム | Trackback(2) | Comments(9)
Tracked from 隅っこの蜘蛛 at 2005-11-22 17:55
タイトル : どうして目線はいつも下なのか。
プレイすることの自由と責任 創ることの自由と責任 (『ワンダと巨像』#3)について。 盲滅法な否定が何処へ向かうか、その方がもっと恐ろしいと考える。 現状ではゲームも、本、スポーツ、音楽、映画、と並ぶ、 一つのコミュニケーションツールなのだから。 そのツールの一つだけに執着することは、 確かに不健康だとは思うが、決して「悪」だとは思えない。 これが「本」であれば、 「うちの子は本が好きで」、「趣味は読書」なぞと胸を張っていえる方は多いであろう。 では何故、等しく文化の一翼を担う...... more
Tracked from Long after M.. at 2005-11-24 00:02
タイトル : ゲームで生を教えられるのか
プレイすることの自由と責任 創ることの自由と責任 (『ワンダと巨像』#3) 私はテレビゲームの類を一切やらない。なので、この『ワンダと巨像』というゲームもどういうものかは知らないが、オトナの鑑賞にもじゅうぶん堪えうる、完成度の高いものらしい。 ま、「残酷な」ゲームを子供にさせるかどうかなんて親の監督責任であって、行政だの教育委員会だのがとやかくいうもんじゃないだろう。 ただ、私は「命の重みを教えられるゲームだってある。そうした中での暴力表現は許容されるべきだ」というのは詭弁だと思って...... more
Commented by spider_edge at 2005-11-22 17:56
稚拙ですが、感じるところがあり、トラックバックさせていただきました。
Commented by 佐倉純 at 2005-11-22 18:35 x
>生きていくことに必ずつきまとう「暴力」、世界を描く上で避けがたい「残虐」

高校の時「女はセックスに興味をもってない!」と信じていた同級生が、同じクラスの女友達にレディコミを無理やり読まされて、1週間ほど再起不能のなった話を思い出しました。
大人になると、嫌でも向き合わないといけないことはたくさんありますな。
Commented by せんだって日記 at 2005-11-22 21:00 x
どうもです。
お誉めにあずかり、照れ臭いっす(笑)。

>娯楽としての暴力・残虐描写とそうでない暴力・残虐描写

↑そうそう!
この言葉が思いつかなかったんです。
そして、すべての暴力はニュートラルの属性であって、娯楽だけで済ませるかどうか、有害として弾劾するかは、受け手の意識の鏡像なんですよね。
Commented by tonbori-dr at 2005-11-22 23:55
奇麗事では何事もすまないし必然性のない暴力とある暴力もある。
吠えてる人って暴力礼賛とかがごっちゃになっているような気がしますね。
しかも慎太郎のおっちゃんがそれを言うかという(^^;
Commented by yaling at 2005-11-23 11:00
「今の子供はケンカをしないから加減がわからず相手を殺してしまう」
「暴力を完全懲悪のヒーロー番組でしか見たことがない子供は「正義」の名の下で暴力を肯定する傾向がある」
どこかで見聞きした意見を適当にまとめてみましたが、過保護に育てた子供が現実の社会に出て「必要悪」なんて言葉の存在を知った時に対応しきれるのかどうか。大体本質的に子供なんて残酷な生き物で、今それらの暴力を無条件に規制しようとしている世代の人間が子供のころはたぶんおそらく、虫の羽根を引きちぎったり、カエルに爆竹突っ込んで爆発させたりしてきた世代だと思うんだけれど。そうやっていろんなことを学んできたはずなのに。ま、それの代替が「GTA」や「ワンダ」だとは言わないですけど、なんにしても過保護はろくな結果を生まないと私は信じております。
Commented by acoyo at 2005-11-23 21:04
★spider_edgeさん
ありまとうございます。コメントはそちらに。

★佐倉さん
>大人になると、嫌でも向き合わないといけないことはたくさんありますな
それを一生避け通せるとでも思ってるんでしょうかねえ。
しかし、そのレディスコミックを読ませたという女の子、義侠心なのか教育熱心なのか、いい子だわ。私、好きかも(藁)。

★せんだって日記さん
いえいえ。未だ延々盛り上がっていて2巡目にいけないわたくしです。
>受け手の意識の鏡像
つうことで、これはセックスに関することもそうでしょうね。要するに、対象について自分に何も定見がないから、一見無難そうでいて実は一番危ういことしか教えられないんだと思う。


★tonboriさん
私の最近のモットーは「汚れた大人をなめるんじゃない」です(藁)。私はむしろ慎太郎おじちゃんは、ゲームやったらはまりそうな気がしますが。
Commented by acoyo at 2005-11-23 21:04
★yalingさん
>「正義」の名の下で暴力を肯定する
これね、子供だけじゃなくて大人にもありますね。ネットにおける言葉の暴力という形でよく発動してます。おっしゃる通り、子供は残酷なイキモノなのに、わりとそれ忘れてる親御さんが多いのに驚きます。んで、そゆことで純粋がもてはやされるときたもんだ。挙げ句、子供のストレス解消用のリクライゼーションが流行ってるそうです。たいへんだなあ、今の子供は。
Commented by samuge-nikukyu at 2005-11-23 23:11
やっぱりゲームって叩かれるんですね・・・本も十分影響力あると思うんだけどなぁ。綾辻行人の「殺人鬼」とか、すごいのに(笑)。
そしてワンダを猛烈にプレイしたくなってきました。
Commented by acoyo at 2005-11-24 11:12
綾辻はともかく(藁)、作家や戯曲家にもゲームマニアは多いですし(作家じゃないですがあの養老孟司もそうだそうです)、それは確実に作品に反映してると思います。
まあ、ある世代以降ではデフォのことが、わかんない人たちが居る。そして、そういう人が「見下げて」ものを言う。これはspider_edgeさんが書いてらしたことですが、そう思いますね。ジャンルに貴賤などなく、個々の作品でいいものとしょうもないものがあるだけなのにね。
ワンダ、やってください。samuge-nikukyuさんの次の恋のお相手にぴったりかと。宮崎にはまる人は確実にはまるでしょうし(藁)。