短期集中連載:映画でかかったあの歌この歌あんな歌 #1『GONIN』とちあきなおみ
ほんでさ、その合間に、最初は、まにゃーなさんの「○○な五曲」にまたトラバしようと書き始めたけど、分量超過(藁)。そこで、短期集中連載にして、あわよくば加筆して、訳詞添えてHPの訳詞コーナーに上げちまおうという魂胆。
今回、己に課した制約は以下
1.楽曲はオリジナルでないこと。既に発表された曲であること。
2.原則的に、BGMとしていきなり流れるのではなく、ラジオ、TV、オーディオ、ネットラジオ、有線放送、校内放送、車内放送、生演奏、iPod……etc.なんでもいいから「かかってる」曲であること。
3.当面はPOPSです。クラシックはいずれ。ジャズは詳しくないから、もっといずれ(藁)。
何で短期かって言えば、書き上げてアップ待ちが六曲あるからさ。
・JUMPIN’ JACK FLASH(Rolling Stones):『ミーン・ストリート』(M・スコセッシ)
・IN DERAM(Roy Orbison):『ブルー・ベルベット』(D・リンチ)
・TENNESSE WALTZ(Patti Page):『ライト・スタッフ』(F・カウフマン)
・STUCK IN THE MIDDLE WITH YOU(Stealer's Wheels):『レザボワ・ドッグス』(Q・タランティーノ)
・MARIA ELENA(Xavier Cugat Orchestra):『欲望の翼(阿飛正傳)』(王家衛)
・紅い花(ちあきなおみ):『GONIN』(石井隆)
……基本的に、私はオリジナル・サントラより、こういう音の使い方の方が好きだ。多分、監督始め制作陣の好みがわかって、それが自分と重なると嬉しいからだと思う。あれ?という歌使ってれば、それだけでその映画が忘れられなくなったりする。
遡れば『イージーライダー』が確立したパターンだろう(誰かが、部屋中にありったけの手持ちレコードばらまいちゃあかけてみてるD・ホッパーとP・フォンダが見えるようだと書いてた。ちなみに『ブルース・ブラザース』もそうして歌選んだそうだ)。
つうことでまた枕が長い、第一回は『GONIN』
↓ツヅク ネタバレとかそういうの、私わかんないっすから、適当に判断してください。
紅い花(ちあきなおみ):『GONIN』(石井隆) →★映画の解説とあらすじ
もう十年以上前の映画になっちまってるのかあ。
いえ、バブル崩壊後、人生も崩壊寸前の追い詰められた五人組が、「マジですかい」とばかりにやくざの事務所に現金強奪かけて……というお約束な「男の心中」映画だけどね。
それが単なる「お約束並べました」になんなかったのは、そのお約束が光り輝いておるから。それはまず、襲撃犯5人(佐藤浩市、根津甚八、椎名桔平、竹中直人、本木雅弘)+ヤクザ3人(永島敏行、鶴見辰悟、室田日出夫)+殺し屋ビートたけしの存在感が半端でないことに尽きる。(個人的には木村一八のみ見劣り。だって、出て来る前に、画面での若い美形ポジションは既にもっくんがさらってるおるので、どうも)
ともかくまんべんなくキャラが立っておる。みなさん芝居はトーゼンいいし、顔付きからしていつもと違う。俺はやるぜ、アップだろがバストショットだろが画面端だろが、任せろ、出て来た瞬間、「これが映画だ」オーラ放ったる、という気合い十分。
……てのは、彼らの普段の仕事、メジャーな邦画やTVが思い切りしのぎってことか。日本のまともな俳優の潜在的フラストレーションはおそろしく高いのね。それって全然、映画界としちゃいいこっちゃねえだろうが(爆藁)。
俳優がその気だから、無論、画面の発情度は幾何学級数的に上がる。「男の心中物語」の艶出まくり。何せ、バイオレンスってのは恋愛モノなんかより遥かに、この画面の発情度=艶がイノチだしさ。私にとってかっこいい男ってのは、デート・ムービーよりこっちでしか会えない。
……いかん、観返したコーフンの余り、半端な感想文に走って字数を増やしてしまった(藁)。それはHPに上げる時にとっておかねば。歌の話だ、歌の話。
んで、心中映画だから、キャラはばしばし死んでいく。ええ、速攻で畳み掛けるように殺されていかはる。既に三人が無惨に消され、もう完璧、後ろは壁か断崖かってとこまで来て、家族まで殺られた根津甚八と、愛する佐藤浩市を殺られたもっくんが、やくざに「落とし前」つけに行く(しかし、考えてみればこのヤクザって被害者よねW)。
そこでなんだよ、これがかかるのは。ええ、お約束だわよ。高倉健と池部良のシチュエーション、「白いキモノでも赤いキモノでもかまいやせん、連れてっておくんなさい」だわ。
で、そんな場面で、狙うボスの永島を待つ車の中で、根津甚八が「わざわざ」かけるのがこれ。わざわざ持って来たんだよ、この歌のテープを、彼は。
(この歌は「5人」が最初に揃って顔を合わせるクラブの場面でも流れている)
そいで、ちあきなおみの話だけど、私は彼女のCDコレクションBOXも買い、日々中古CDまめにチェックして地道に(=できるだけ安価に)全曲コンプを目指しとる。
んで、ここ十年ばか、テクだけある自称R&Bの歌手を気軽にディーヴァと呼ぶ悪しき傾向があるやん。でも、ディーヴァ「歌の女神」とは、聴く耳なんて無えマジョリティ、パンピーの魂まで浄化する力がある歌い手さんのことでしてよ。日本人なら故美空ひばりかちあきなおみ以外に居てたまるか。
そいで、その力が概してポジティヴに、エロスに振り切る神様仏様美空様に対し、ちあきなおみの歌はネガに、あの壮絶な歌唱力+表現力(歌に憑依する力)はタナトスに向く。『星影の小径』なんて明るいラヴソングなのに、彼女が歌うとそのあまりの甘美さ故に道行き歌になっちまう~。
んで、だからこそ、ここはちあきなおみじゃないと、ダメ、なの。
何もかも失い、自分の人生自分で完膚無きまでに滅ぼした馬鹿が、その生の最後に聴くのは、この限りなく優しく、美しい、セイレーンの子守歌でないとあかんの。
そして、そのとき、根津はふと、淡い笑みを浮かべる。「ああ、俺たちは5人だったんだ……」と言う風に。そこには同じ歌の流れていた顔合わせのとき、「情けをかけるな、そんな日本人的な……」と吐き捨てるように言った自分が、こうして思い切り日本人的振る舞いしとることへの自嘲もこもってる。こういう芝居やらせたら、ホントうまいよ、このくそオヤジ
だからこそ、根津は手にしたシャブの注射器を捨てられるのさ。そして、素面で、自分が成した事と、そして、その結果の間近い自らの死と静かに向き合えるんです。
そのカーステの音ががーっと上がって広がって行き、降りしく雨の中、つい寝ちまった根津を敢えて起こさずに、もっくんは一人、車の外へ出るのさ。落とし前をつけるために。死ぬために。
要するに、この歌は、この物語の中で死んでいったすべての人々、敵味方関係なく、「己の馬鹿さ故に滅んでいった」&「これから滅んでく」すべての人間の屑への鎮魂歌なんだ。
しかも、それがただの「流行歌」、演歌なんだよ。It's a only old fashioned love song for dead crazy scum.
この歌が入ってるアルバムってので、どうせならこれ
●VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家
朝日のあたる家のカヴァーなんざ、あんた、全身の毛穴が開いて、そこにどーっと歌声が染みこむという、とんでもない歌だす。
大幅な余談
この連載ネタ考えた動機の一つなんで、ここで書いちゃうけど、流行歌=POPSであること、消費される歌であることの底力ってのはそこなんだよな。マスに向かう歌である以上、どんな屑も見放さない。(→so what『ポール・マッカ-トニーは闇の中でBLACKBIRDを歌う』)
んでも、そんだけ手垢にまみれた素材なわけだから、高尚にオペラだクラッシックだで盛り上げるより(ただし、今じゃオペラも有名なアリアは十分手垢ついたけどね。それにイタ系監督が使う場合、オペラってのは日本人の考える「コーショーでゲージツテキ」てより、もっと身近で下世話なものだ。だから、『ゴッドファーザー』のコッポラも実は方法論は同じ)、実は流行歌使う方が遥かに創作的難易度は高い。
考えずにやりゃただの「ベタ」か「お笑い」=「安易に観客のカンドーを狙ってやがんの」になるもん。今のTVドラマの歌の使い方がもろこれ。画面が負けずに立ってないと、それは画の力じゃなくて歌の力だけってことになり、なんともぬるく安いことになる。
(石井隆という監督について、私は何本か観てるだけなんで情報無いんだが、『夜がまた来る』とか観てると、これって日活無国籍映画から来てるんだなと思った。つうか、日活無国籍映画も東映やくざ映画も、どれもこれもタイアップ・ソングとはいえ、そのベタを映画的感動に繋ぐのがお家芸だったんだよ。だから当然、藤田敏八もそれがうまいと)
あと思うにちあきなおみの歌は邦画でも日活、東映のカラーにはぴったり。
松竹(GONINは確か松竹)、東宝のでも監督の力量次第なんだけれど特に日活、東映ってのはCIからしてそういう気が。
覚えてるのは、竹中の見事なまでの壊れっぷりや、たけしの「ちょっとタイム。きついわ・・・。」のとこ。どうも異様な部分ばかりで、いわゆるエエトコはすべて忘れてる・・・。
これもってるよ!w
汽車の効果音→「あたしが着いたのは ニューオリンズの朝日楼という名の女郎屋だった!!!」っていうやつ。こんな曲とはおもわなんだ。
個人的にちあきのは「吉田旺 参分ドラマ」とかいうやつが一番アルバムとして好きだ。
このヴァーチャルコンサートにも転用されてるよね、「紅とんぼ」とか「喝采」とか?
リストに新しいのを追加しなきゃいいんですが 気が多いのでついイロイロと(笑)
Queenをテレビドラマの主題歌なんかにしたものがありましたが、年季の入ったQueenファンは立腹していましたもんね((^^;
何か安っちくなっちゃうっていう、こういう理由によるところが大きいんだろうなあ・・・
きちっと作りこんだ作品でジャストフィットすれば、とってもカッコイイはずなのにね。
★tonboriさん
言われてみれば気がついた。GONINって確かに豪速球映画かもしんない。そこにちあきなおみとくれば、確かにひねりはかけらもないわ(藁)。
東映やくざは高校・大学とどっぷりはまり、今は日活がおもしろいんですが、「演歌」をうまく使える(単なるベタでなしに)監督ってのは「日本人」について考えてる人ではないかと。
★森と海さん
あはは、そりゃあの竹中の場面はぶっ飛びでしたよ、私も。あの映画の発情はむしろ、女の方がわかりやすいかもしんないな。
★wake1さん
「喝采」というのは、ふとした弾みで聴いて、彼女の歌手としての底力を膚に粟立つ思いで知った思い出深い歌ですなあ。場面がぱあっと目の奥に見えるんですよ。あの演技力というか憑依性はすごいなあと。
是非、ご覧になって感想聴かせてください。いや、私も「見なきゃね」リスト、たまりっぱなしです。一番哀しいのは、DVDに焼いたものの見てないエアチェックの山。
★nonkey37さん
それだけの歌にはそれだけの「力」があるわけで、それに拮抗できるだけの力がドラマに要るわけですからね。
私は、なんとかってキムタクのドラマにU2使われた時に激怒しました。キムタクはともかく、ドラマ自体がひどかったんで、こんなもんでU2を連想された日にはたまらん!と(藁)。
★eさん
はじめまして。あ、やっとGONIN好きな方に巡り会えて嬉しいです。
私は永島、ラストの狂いっぷりも好きですが、切れて暴れる椎名に「ぱん」と新聞投げるとこも好きですね。後、椎名、泣かせるぞ。
ええ、注射器捨てる場面は大好きです。というか、根津甚八と注射器は似合うなと(藁)。
当方、松竹の回し者ではございません