『春の雪』 昭和も遠いのに、大正なんて百万光年の彼方なのだな。
Snowy love fallin' in spring
美しいがゆえに、儚いものがある。手に触れた瞬間に溶けてしまう、春の雪のように、 ふたりの愛は消えてしまったのだろうか?↑を引用しただけで、ここに来られるような方は、かなりやる気をなくされたことではないかと思う。私もそうなんだけどさ。
ついに結ばれることのなかった、悲しい恋の結末。しかし、一瞬のきらめく季節のなかで、清顕と聡子は、つないだその手に 「永遠」を握り締めていたのだ。
いつかまた、ふたりは一緒になれる ……
だから、こーゆー映画にはあまり近づかないことにしてるのだけど、たまたまCSでやってたの。も、「大正浪漫の着物の濡れ場」目当てで観たんだけど、結論は、二時間ドラマ新春スペシャルだと思えば腹は立たない。。
やっぱ大楠道代と岸田今日子はよかったすね。そいと石橋蓮司も短い出番で見せるよな。後、榎木、なんか最近、こういう役多いせいか、二分の芝居だったわ。
それになんてったって撮影、李屏賓っすから。『戯夢的人生』っすから。とはいえ、撮るもんが撮るもんだとこの程度ってのはありまして、撮監万能ってわけじゃねえなあと(爆)。
だもんで、そういえばこれって三島の原作だったのねと思い出すのが、映画が終わってずいぶんだってからなんだけどね。でもまあ、原作の方も、あの大作の中での大時代的メロドラマ部分だしさ。別に私は三島のファンでもないし、それはそれで、だから、どうしたでもいいと思うぞ。
そいで、どこか焦点のあってない風な顔なのは竹内結子の責任ではないし、それを好むヒトは多いわけだし、いいのであろう。それに、あの
けど、彼女の顔立ちってのは、鼻の下にいささか難あるじゃないですか。そう思わない? ……思わない? ごめんね、私はそう思うの。それが、監督が時として、ものすごくその顔の欠点を強調するよなアングルから撮ることがあるのがなあ。こういうベタなメロドラマでしかも文学ざんすよ、加えて、今時の感覚じゃ笑えるくらいの薄幸のヒロインなんだからさあ、一部の隙もない美貌でなきゃいやんとか、つい。なのに、気になるの~、鼻の下のバランスの悪さが。
前にも似たようなこと書いたが、監督よ、恋愛物だろ、李屏賓わざわざ呼んできたんだろ、なら、ともかく女優を綺麗に撮ろうよ、そうわたくしは言いたい。
それと、あの時代の深窓のご令嬢の髪にしちゃ、短すぎね? あれじゃ髷結えないじゃん。なんか、そういうとこまで気を抜かれるとなあ。いろんなとこで、最初から気を抜いておる映画なのだから。
そいで、妻夫木だが、長台詞が棒読みになってるのも何も言うまい。元々、彼に向いた役ではなかったんだし、清顕ってご大層な名前の似合う面じゃねえもんな。
だもんで、「華族の坊ちゃんのデカダンで無気力な表情」は単に「
結果、彼が所謂「三島風台詞」を吐くたびに、画面が和やかになってしまい、しみじみと、「妻夫木君、妻夫木君、君、今言った台詞、少しは意味をわかって言ってるか? それ、漢字混じりでちゃんと書けるか?」と問いかけたくなったのも、まあ、別にいいか。
肝心の、着物だ着物だ着物脱がせるんだぞ~、帯くるくるだ、長襦袢はらりだ、わくわく、ふふふ……だった濡れ場が「あれっきり」なのは、すごく寂しかったわ。
あのさあ、胸出せとは言っておらん。ただ、裾の乱れ様とか畳を擦る「足袋の足」とか、もちっと生唾飲ませてくれんかね。濡れ場の間中、安穏と安倍川餅食っておれたではないか。いいのか、それで。
とはいえ、それもこれもあれもすべて、最後に宇多田が流れた段階ですべてすっ飛んだ(爆)。とても些細なことに思えたわ。まあ商いの事情だろうけど、なるほどねってとこで。
ふと思ったのだが、こういうもんを映画化するってのなら、画面や役者の台詞から旧仮名の匂いがしないとなあ、少なくとも私はそうでないとはまれん。そして、旧仮名と宇多田はあまりに遠い。
しかしながら竹内結子と妻夫木君というのはキャスティングから無理があるのではないでしょうか。予告編でちょこっと見ましたが違和感ありありでした。
>裾の乱れ様とか畳を擦る「足袋の足」 それは良い非常に良いです。思い出すのは片岡千恵蔵、大川橋蔵、中村錦之助とかの時代劇でしょうか。ああ、千恵蔵の「忠臣蔵」見てぇ〜。話が大正ロマンからハズレてしまって御免なさい。(笑)
大正時代のスノビズムと現代の寂しさ、侘びしさって通じるトコ、あると思うんだよね。
「春の雪」は、配役でドン引きでした。
月9かよー、です。行定も世間の評価ほど、私は買っていません。
悪しからず。。。
でも、見たんだー。えらいえらい^^
まあ二人とも一生懸命がんばっていて、そこはまだ救いがあります。、まあ「流行ってる役者」中央に使うしか人が集まらないことだし、ならば脇の選び方で監督の力量がわかるんですが、独特の何かは見えてきませんね、この監督からは。選ばれた役者が自分でがんばってる感じです。
というマジなこと書いても仕方ないんで(爆)、そう、足袋ははいといてもらいたいし、畳の目は擦ってくれないと。千恵蔵の忠臣蔵、ふふ、CS入ってると思いのままですぜ、旦那。
★kiyotayokiさん
悪い女優じゃないと思うんですけど、そこがねえ(苦笑)。んで、それをカバーしてやるのが演出の力なのに、最近の監督はちっとも気をつかってあげない。あれじゃあ女優の華は咲きません。
>えらいえらい
なんか頭なでられたみらいで嬉しい(藁)。チューナーのHDに撮って、何度も早送りの誘惑にかられました。
>大正時代のスノビズムと現代の寂しさ、侘びしさって通じるトコ、あると思うんだよね。
私もそう思うんですがねえ。それに、三島のあざとさとベタさ、というのも今の方が演出しやすいと思うんだけどな。谷崎なら、「痴人の愛」リメイクは無理だろうか、監督もいないし、女優も居ないけど(爆)。ホント、市川が死んだら後はどうなる。
行定は私も買ってません。つかロクに観てもいませんでした。これでセカチューは残る一生観ないで安心(爆)。
三島由紀夫を映画にしようって時点で失敗は目に見えていて、舞台でさえこないだ「鹿鳴館」を見て役者不足を痛感しました。
演技の上手い下手以前に、明治・大正時代の日本人の生活を再現することがもう難しいのでしょうね。それくらい今の日本人の生活は欧米化が激しい。着物を着ての立ち居ができてないし、そもそも着物がしっくりくる体型の俳優がいないような。
でもこのエントリ読んだら『キャシャーン』の方がマシっぽいぞと思った(苦笑)ウソだけど。
言い得て妙な(笑)。でも腹立たない、本当に(笑)。
今の映画界に三島を映像化する力が無い、というよりそれができそうな人のとこにお金が回らないんだと思います。
それと着物に関しては、確かに体型の問題はありますが、黒澤なんかではクリアできてたわけですから、結局、↑のエントリでumacoさんが書いてるみたいに、スタッフがノウハウをきちんと伝えて無いってことだと思うんですね。これは着物の問題だけじゃなく、日本映画界の全盛期の財産がまるで次世代に伝えられてないってことなんですが……。
★tonboriさん
マシというか、マジだと思いますよ、いや、マジで(爆)。行定は三島も大正時代も舐めてますが、あっちはキャシャーンを舐めてだけはいなかったと思う。ファンと映画は舐めてたかもしれんけど(爆爆)。
★jaguarmen_99さん
いや腹立てたって仕方ないという。何せ噂じゃ監督、原作読んでないっていうし。
だろ? 映画は……観ないでいいと思うよ。