2005年 09月 01日 ( 2 )

ロゴ変わりました~。
いつも通り、nikonikomikkiさんが描いてくれたんですが(初のプロフィール、スイスの名医が手を入れた後みたいなもん)、今回は1周年記念コインだそうです。誰か鋳造してくれないだろうか。
んでも、髪型変わってるんだ~、わたくし(藁)。切っちゃったんだよ~。
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ハリケーン数千人死亡か 米史上最悪規模の災害
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 昨日からずっとCNNは特番体制だ。んで、私も「うげええええ」と呻きつつ、観ている。うちのマミーじゃないけど、世界のたががどっかで外れた感が強い。
 さっき(9.1 13:30)、ニューオーリオンズに取り残され、スーパードームに逃げ込んでいた人々(観光客はともかく、「車を持たない市民」ってとこで、どういう層かは推して知るべし)を、テキサス州ヒューストンのアストロ・ドームに移すという作業が始まり、第一陣が着いたようだ。専門家筋は移送にどれだけかかるかわからないと言い、この水が全て引くまでに半年かかるという予想も出ている。

 んで、その報道の中で、私が個人的にとても印象的だったのは、CNNのキャスターが、「アメリカの国民を指して、これだけrefugee(避難民、難民)という言葉を連発するのは、どうも変な気分だ、まさかこんなことがあるとは思わなかった」みたいなことを言っていたこと。

 この言葉は第三者には傲慢に響くだろう。けっ、アメリカ人はよおとか、世界を見ろ、バカとか。
 だけど、あの大震災を経験した私には、実感としてよくわかった。

 あの時、欧米の報道で、被災者はrefugeeと呼ばれていた。refugeeには被災者、避難民の意味もあるが、私の感覚では「難民」のイメージの方が強い。私が知っている歌の歌詞で出て来る場合が、概ねそんな意味合いだったからかもしれない(CNNの同時通訳も、refugee=難民で通していた)。
 実際、うちは家こそ無事だったけど、あらゆるライフラインが止まり、移動さえ思うに任せぬ町で、私たちはその通り難民だったのだから、当然の呼び名だったろう。
 けれど、そうして自分たちがrefugeeで、国際赤十字など海外の支援と同情(sympathy *1)をもらう立場にある、というのは、とても嬉しい反面(何せ、県や市はともかく、村山首相は何もしてくれなかったしね。官邸でカレー食ってTV見物して、自衛隊出動を遅らせ、海外からの救助犬を入国させなかったもんね)、どこか複雑だった。

 自分たちが今、世界から哀れまれている弱者なのだということに、一種独特の感慨があった。「人の善意がわからないのか!」という非難を覚悟で書くが、今までさんざんTVを見て安い同情をしまくってきた側だった自分が、同情される側に回った、という気分は、ごく正直に言えば、そう愉快なものではなかった。
 そして、先進国日本の市民、なんて気分が、どれだけいい加減で危ういものか思い知った。自分の中のちんけな傲慢さにしっぺ返しされた思いだった。それは震災の翌日、何もなかったように平常通り動いている大阪に出て、眩暈のような衝撃を感じたことと共に(そして、出社し、被害のなかった地域から通う同僚から、はしゃぎ気味の安い同情を浴びせられた時の気分と共に)、なお深く心の中に残っている。

 だからどうということもないんだけどね。
 同情するなとか、そーゆーえらそうなことを言いたいんじゃない。私だって、この空前の災害の被害が少しでも小さくおさまればいいと祈るしかできない、ただの野次馬なんだもん。
 ただ、被災者の身になる、被害者の身になるなんてのは、そう簡単なことじゃないってのはなんとなくわかる。同情ってのは、人に向けるときにはすごく取り扱いの難しい感情だなって。

 だから、あのキャスターの言葉は、痛みと苦さのこもった実感だなと思うわけ、私は。
 あれは傲慢な台詞っていうより、自分の傲慢さを多少なりとも初めて思い知った人間の、当惑に満ちた、正直な感想だなと思うわけさ。

CNN日本版特集記事
ロイター・アメリカ版(editor's choiseで画像特集、どっかに動画も。なお、現在、大手ニュースが流す画像には視察に行った大統領専用機から撮られ、プレスに流されたものも混ざってる。向こうの大統領府はそれでも動きが速いよな)←9.3追記 と思ってたらとんでもねえ初動の遅さが判明。自慢のFEMA(連邦危機管理庁)は役立たずかよ。

*1 無論、日本の文化圏における同情と、キリスト教圏のsymathyのニュアンスは微妙に違う(当然、イスラム教圏でも違うだろう)。「いいことをしている」意識が強い日本に対し、向こうには、こういう時の援助はキリスト者の「義務」であり、いいことをしてるんじゃない、当たり前のことをしてるんだという認識がどこかにある。これはキリスト教に対する思いがどうであれ、押しつけがましいとはいえ、褒めるべき姿勢だと私は思う。
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